■2024年7月 ブログ

風鈴まつり

お客様から「犬山成田山で風鈴まつりをしているよ。」と聞き、外気温38℃の中、涼を求めて車を走らせたのでありました。風鈴まつりの正式名称は「願かけ風鈴まつり」で、 61日から831日まで行われる行事です。本堂手前の見晴らしの良い場所に風鈴が数多く並び、風鈴に吊るされた短冊に願いが書き込むものです。(短冊1000円以上)

昔から風鈴の音には邪気除けの意味があるといわれており、涼やかな夏の風情を楽しみながら、邪気を祓い、心癒されるひとときを楽しみながら、短冊に願い事を書いて風鈴に吊るすと願いがかなうという仕組みです。

本堂が高台にあるため、風が吹いて風鈴が常に鳴り響く環境や、確かに涼を感じるものの、直射日光が肌に刺さるような感覚になり、邪気は祓われるだろうけれど、その場には長居できないくらい暑くなってきます。そんな訳で、妻が収集している夏の限定御朱印(初穂料500円)をいただいて、犬山成田山を後にしました。

そして、帰路へ向かい前には、犬山へやってきた際には立ち寄る「大野屋」で、「串ういろう」と「水まんじゅう」をコーヒーのお供に購入したのでした。

 

やっぱり、猛暑日は風鈴もいいけど冷房が一番なのです。

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35℃

今朝、リビングの窓から外を眺めると、妻がグリーンカーテンとして植えた朝顔が、白い花を二つ咲かせていました。このグリーンカーテンは、室内に入る夏の日差しを遮って室温の上昇を抑えたり、植物の間を通り抜ける風が冷やされることで室内温度を下げるといわれていますが、梅雨明け後の猛暑には効果があるとは思えません。

 過去に、「気温が30℃を超えるとアイスコーヒーがホットよりも増える。」を検証したことがあり、実際にアイスコーヒーの売上が増えていることを確認しており、最近は毎日何度もアイスコーヒーを仕込む日々です。

ところが、35℃以上の猛暑日が続くようになってくると、最高気温となる午後2時以降には来店客数が減ってくるのを感じ始めました。朝9時には市の広報で、「熱中症アラートが発令中です。不要な外出を控えましょう。」などと注意を呼び掛けているのだから、当然と言えば当然なのですが、この気温と消費活動には何らかの関係性があるように思います。

 一般的には夏は暑ければ暑いほど、消費が増えるという傾向が見られます。プールや海などのレジャーの消費、飲み物やアイスクリーム、かき氷などの夏物の消費が増えるということが要因になります。少し前までは夏にはビールが売れるなんて言われたものですが、アルコールを飲まない若者が増え、今では必ずしもビールの売り上げが爆上げなんてことはないようです。その時代ごとに消費行動には変化があります。
 ある経済アナリストによれば、35℃ぐらいまでは、暑くなればなるほど消費が増えるという関係にあり、35℃を超えてくると36℃37℃38℃となるにつれて、消費が減っていくという分析結果があるそうです。暑いと外に出なくなるため、店舗型ビジネスにおいては来店が少なくなるので売上が減ってしまうんだとか。「気温35度の分岐点」なんて書いてありました。

 35℃といえば、「蚊は35℃以上の暑さで活動停止」なんてのも聞いたことがあります。ネッタイシマカという蚊を使った実験で、いろいろな温度と湿度の条件で蚊の飛翔活動を調べてみたところ、飛翔が見られたのは10℃から35℃までだったという論文があるそうです。人から吸血するヒトスジシマカはネッタイシマカと近縁なので、高温に対する耐性もそれほど違わないと思われることから、35℃を超えると蚊が活動しなくなって刺されにくくなるそうです。

 

 今日は9時ごろに雷雨があって、最高気温は32℃くらの予報です。さて、お客様の数に変化はあるのでしょうか?

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今年の田んぼアート

今年も山岡町まで出かけ、イワクラ公園の展望台から田んぼアートを眺めてきました。2024年のテーマは、山岡町下手向の開山1300年祭を迎える白山比咩神社の鳥居としめ縄の構図だそうです。展望台の脇には「白山比咩神社 開山千三百年記念祭」書かれた幟が何本も立っていました。ただ、鳥居の形状や千三百という文字が微妙に変形していて、これまでの田んぼアートと比べクオリティーが落ちたように感じます。

この田んぼの苗は、田んぼアートの先進地である青森県の田舎館村や青森県産業技術センターから取り寄せた観賞用稲種子を仕入れ育てた苗を植えており、ゆきあそび(白)、あかねあそび(オレンジ)、紅あそび(赤)、紫だいこく(黒)、黄だいこく(黄色)、緑だいこく(深緑)の6種類あるとのこと。ただし、観賞用の苗のため食べられないとか。(絵の周囲の米には阿木の美味しいお米(清水1号)が植えてあり食べられます)

 私が展望台へ登った際には既に一組のご夫婦が到着されており、「田んぼアートと鉄道が同時に写真に撮れる場所は珍しいですよ。」といって、猛暑の中、明智鉄道の列車が通過するまで1時間程待つとのことでした。さすがに私は待つことは出来ず、さっさと写真を撮って帰ります。

 展望台からの帰り道、「白山比咩神社って何て読むんだ?1300年っていえば、創建は724年だから奈良時代?そもそも、こんな山奥にそんな古い神社があったんだ!」色々と疑問が湧いてきます。駐車場の車の中で調べてみると、「しらやまひめじんじゃ」または「はくさんひめじんじゃ」と二通りの読み方がありましたが、いずれにしても、石川、福井、岐阜の3県にまたがってそびえる白山に関連した山岳信仰のようです。

 白山比咩神社は、もとは白山神社と呼ばれており、奈良時代の神亀元年(724)に、地元の郷主である荒木田太夫信足が郷民と相議して、加賀国の白山大神の御分神を奉迎したといいます。まあ、全国に白山神社と呼ばれる神社は三千近くあるそうですから、その一つなんでしょう。その後、明治44年に下手向荒木に祀られていた神明神社を白山神社に奉遷して合祀し、白山神社を「白山比咩神社」と改称したようです。

「比咩(ひめ)」とは、神社で主祭神の妻や娘、または関係の深い女神を指す言葉で、特定の神様の名前ではなく、女性の神様全般を示しようです。そのためか、毎年10月の第2日曜日と月曜日に、白山比咩神社大祭が行われる際には、女性用の華やかな着物を身にまとって獅子頭をかぶった演じ手が、嫁獅子という奉納獅子舞が行われるそうです。 

それにしても、千三百年も受け継がれる信仰の深さに驚きです。

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夏バテ防止

陶磁器生産量日本一の土岐市では、昔から陶工たちが窯の炎の熱さで消耗した体力を回復するために、高たんぱく質で消化の良い鰻が重宝されてきました。そこから日常的に鰻を食べる習慣が根付き、市内の各所に鰻が食べられる店があります。

 陶磁器の工場のことを地元では「窯焼き」と言い、その「焼き」という言葉の通り、暑さに耐えながら窯に薪を焚べる仕事を意味しています。ですから、土岐市に限らず、多治見や瑞浪、瀬戸といった陶磁器産業の盛んな土地では、鰻の名店と呼ばれる店が多く存在していました。今では、薪ではなくガス釜がほとんどのため、窯に職人が付きっきりということは無くなり、「窯焼き」と呼ばれる工場も減少し、それとともに鰻が食べられるお店も徐々に減ってきています。

 夏の土用の丑の日(今年は724日と85日)に鰻を食べると夏バテ防止になるとかで、子供の頃には、母親が働いていた製陶所で鰻丼が振舞われていました。それを母親が自宅に持ち帰り、家族で分けて食べた思い出があります。ちょうど夏の土用の丑の日の前後が私の誕生日になることから、それ以降も我が家では鰻丼を食べる習慣となっています。

そんな訳で、今日は妻のおごりで鰻を食べに行くことになりました。向かった先は、昨年4月にオープンした「みの川」(瑞浪市和合)です。美濃加茂市に本店を構える「美濃川」の瑞浪店で、本店には何度か訪れていたので気にはなっていましたが、今回、初めて利用しました。注文したのは、平日ランチで限定10食の「みの川膳」です。

食べながら思い出したのが、この場所は20数年前までコンビニがあり、店主のご主人が脳卒中で病院に運ばれた際、偶然、私が病院から出ようとした時でした。結局、そのコンビニは閉められたのですが、その跡地に何度か飲食店ができたものの長続きせず、その居ぬき物件に「みの川」ができたのです。外観が鰻屋らしくないのはそのためですが、カジュアルで利用しやすい雰囲気でした。 

ちなみに、鰻丼のご飯の量は小・並・大と選べますが、欲張らないことをお勧めします。(お腹いっぱいになりました)

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キシルとカスカラとスルタナ

まめ蔵のメニューにも取り入れている「カスカラ」について書かれていると知り、現代化学248月号のコーヒーと化学のコラム『カフェ・シミック』と、静岡文化芸術大の武田淳 准教授が、総説や訳本を公開している、『スルタナ ボリビアにおけるコーヒーチェリーティーの歴史と利用』(著:マリア・ヒメネス、ジョアナ・ジャコビ)を合わせて読んでみました。せっかくなので、エルサルバトルのカスカラを飲みながら。

旦部幸博氏が寄稿する今回の『カフェ・シミック』のテーマは、『キシルとカスカラ』です。武田淳氏の訳本の『スルタナ ボリビアにおけるコーヒーチェリーティーの歴史と利用』では、「スルタナ」と書かれていますが、「キシル」も「カスカラ」そして「スルタナ」も、同じくコーヒーの果皮・果肉であり、コーヒー豆を取り除く過程で「廃棄物」として捨てられてきたものを飲用に加工されたものです。

ただし、「キシル」が深夜の修行の眠気覚ましに飲まれた、コーヒーの実を乾燥させた後に丸ごと焙煎して煮出したブンのカフワと、豆を取り除いた果実と果肉を火入れして煮出したキシルのカフワの二通りあったそうな。そして、キシルが「スルタナコーヒー」として宮廷で飲まれる高級品の扱いを受け、豆からつくるコーヒーは庶民が飲んでいたという、現在とは逆転していたことを知り驚きです。

カスカラとは、コーヒーの果皮・果肉を表すスペイン語で、現在ではコーヒー豆を取り除く過程で「廃棄物」として多くが捨てられていますが、イエメン(キシル)、ボリビア(スルタナ)、中米(カスカラ)と名前は変わるものの、コーヒーチェリーに関する食文化の史的変遷を辿ると、「コーヒーチェリーを食べる」という食文化を知ることになりました。

 ただし、コーヒーのように「カスカラ」が再評価されて利用の広がりを見せるかといえば、必ずしもそうならないのではないか。実際に「カスカラ」を扱ってみて、コーヒーのような飲用習慣を持つような人も現れないし、「カスカラ」に対して興味を示す人も少ないのが実態ですから。コーヒーに比べて魅力的ではないということです。

 意外だったのが、そうした「廃棄物」の多くが肥料になると思っていたものが、実は、肥料として直接土壌に散布してしまうと土壌環境の悪化を招いてしまう可能性があること知った点です。また、コーヒーの果肉・果皮には、タンニンやフェノール化合物、カフェインが含まれているため、食物中の栄養素の吸収を抑える効果があり、動物の飼料として直接使用することは出来ないことも。ただし、10%未満であれば飼料に混入させても、反栄養反応を引き起こさないことや、堆肥と混ぜて土壌に散布すれば、土壌環境の悪化を招くこともないことも同時に知りました。 

 本当に知らない事ばかりです。珈琲屋と名乗っているのに、コーヒーに関する知識は浅煎りのごとく浅知恵なのでした。

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成長

1,400g程の未熟児で生まれた孫の様子を、娘がスマホを使って時々送ってくれ、今では標準的で丈夫な子になって成長する姿に安心しております。頻繁に画像や動画を見ていると、中々成長具合が分からないものですが、たまたま同じ構図の画像があったので比べてみると、「大きくなったな~!」と感慨深くなります。

孫にとっては見るものすべてが新しい世界とあって、初めて見る動物はおろか、道に落ちた木の枝であっても、目を輝かせながら見つめる姿に新鮮味を感じます。自分自身、まもなく65歳を迎え、先日の免許更新の際には、「次回から高齢者講習か!」と、急に年を取ったような気分になりました。 

けれど、持病の腰痛や疲れやすさといった加齢に伴う衰えはどうにもなりませんが、孫のように目を輝かせるような興味を何事にも持ち、知りたい、見たい、確かめたい、といった思いを具体的な行動に移せるよう、目に映るもの全てを新鮮な気持ちで捉えていきたいと思っています。それが、自分なりの成長になると思うので。「比べるのは、昨日の自分と今日の自分、そして明日の自分」を忘れなければ。

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広瀬やなへ

祝日の月曜日、先月から「鮎が食べたい」と言っていた妻のため、愛知県豊田市内から一番近い「広瀬やな」へ行ってきました。紅葉スポットで有名な「香嵐渓」のそばにあり、猿投グリーンロード「枝下IC」より約5分の場所と、アクセスがしやすいため、東海環状自動車道を利用すれば、自宅から30分程で行くことが出来ます。

昨年の7月には、そこから上流となる「おど観光やな」へ行きましたが、一般道を使うために倍ほどの時間がかかることもあって、この「広瀬やな」を選んだのですが、祝日で豊田市内から近いこともあってか過密状態で、肝心の鮎を食べられたのが、受付で注文をしてから1時間半後となりました。

11時半に受付し、1時に注文の鮎が配膳されたため、いっそ、1時頃に遅らせて注文すればピークが過ぎて早かったかもしれません。ちなみに、注文したのはB定食:2,500円、 鮎塩焼き(2)・鮎フライ・鮎甘露煮・鮎ご飯の4品です。A定食:3,200円には、鮎の刺身が付いた4品になります。

 待っている時間に、「やな場」で鮎のつかみ取り(有料)を楽しむ家族連れや、忙しそうに働くスタッフの様子を見ながら過ごしました。救われたのが、冷房の効いた座敷の広間だったことです。受付の前の看板に「注文を受けてから調理するため、30分から40分ほどお待ちいただきます。」とありましたが、まさか1時間半になるとは思いませんでした。

 

 それでも、今年初めての鮎を堪能し、やな場の涼しげな光景を眺め、夏の風物詩を味わう時間でした。

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アートとともにへ

先日、お客様から、「とうしん美術陶芸美術館」で『アートとともに』という、今年秋の国際陶磁器フェスティバル美濃の副催事の障害者アート作品展「アール・ブリュット美濃展」協賛催事(929日)が行われていると聞き、多治見市へ行ったついでに覗いてきました。

同館は、東濃信用金庫が美濃陶芸作品永年保存事業で購入した作品などの所蔵コレクション等、現代美濃陶芸の作品を展示する事を目的としており、今回のような障害がある人たちが手がけた作品を展示するのは初めてです。展示会場には、個人のほか、障害者支援施設「第一陶技学園」や、多治見市本町の生活介護事業所「クリパラボ」、障害者福祉施設「優が丘」の人たち、東濃特別支援学校の生徒の作品が展示されていました。

「アール・ブリュット美濃展」の協賛催事であるため、障害者の作品展示を行ったのだろうけれど、そもそも、アール・ブリュット=障害者による美術と理解されている事に違和感を覚えます。日本語では「生(なま)の芸術」とも訳されるアール・ブリュットは、1940年代にフランスの画家、ジャン・デュビュッフェ(1901-1985)が提唱した概念です。彼が同時代の芸術家や文化人らと交流を深める中で、既存の文化の影響を受けずに独特の制作を行う障害者や独学の作り手などの作品に心を惹かれ、それらを「アール・ブリュット」と呼び、調査や収集を行ったものです。

確かに、デュビュッフェによるコレクションにも、精神障害者による作品が含まれていますが、彼にとって「制作者が障害者であること」は決してアール・ブリュットの条件ではなく、むしろ、そこに見いだせる「生(なま)」な部分が重要だったはずです。既存の凝り固まった文化芸術を超越する、枠にとらわれない創造力を見いだしていたからでしょう。

 今回のように、障害者の作品展示だと括ってしまっては、「好き」とか「嫌い」、「よくわからない」といった自由な感想が、途端に、「障害があるのに凄い!」とか、「やっぱり独創的だよね。」などと、変ってしまう恐れがあります。なんだか、健常者と障害者のアートの線引きされたようで、自由な場である芸術の空間が分断されてしまうことを危惧します。

 また、障害者のアートを無理やりにでも発掘しようというような、行政の働きかけといったものも地元の障害者施設の方との会話でも感じますし、障害者といいながら、全ての障害者を対象にしているというより、一部の知的障害者にスポットを当てようとしているところにも違和感を覚えています。この嫌な違和感が、日本で「アール・ブリュット」という言葉が盛んに使われ出した56年くらい前から気になっていました。

 今回、この「とうしん美術陶芸美術館」での『アートとともに』を鑑賞するにあたり、このモヤモヤをなんとかしようと調べてみたら、平成30613日に公布,施行された、「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律」を見つけます。

この法律の「第1 法律の概要」の中の、「3 基本的施策」の「(4)芸術上価値が高い作品等の評価等 1」では、「国及び地方公共団体は,芸術上価値が高い障害者の作品等が適切な評価を受けることとなるよう、障害者の作品等についての実情の調査及び専門的な評価のための環境の整備その他の必要な施策を講ずるものとすること。」とあります。はて?「芸術上価値が高い障害者の作品」とはどんな作品なのか?適切で専門的な評価って誰がどのようにするの?「障害者の作品等についての実情の調査」って、結局、障害者施設や特別支援学校が対象になるってことなの?

この一文だけでも疑問だらけです。特別支援学校は文部科学省だから評価の対象は理解できるものの、障害者施設は厚生労働省ですから、そもそも評価とは無縁の中で作品の作成をしているのです。それに、適正で専門的な評価を誰が行うのか、その指針はあるのか不思議でなりません。

また、「(6)芸術上価値が高い作品等の販売等に係る支援」では、「国及び地方公共団体は、芸術上価値が高い障害者の作品等に係る販売、公演その他の事業活動について、これが円滑かつ適切に行われるよう、その企画、対価の授受等に関する障害者の事業者との連絡調整を支援する体制の整備その他の必要な施策を講ずるものとすること。」とあります。これって、障害者の表現をめぐり、教育的考え方の他に、販売というビジネスの考え方が入り込むことになります。本来、そうした思惑と異なる世界で作品作りをしているところに、外部の怪しい力学が入り込みそうな気がします。

 まあ、そんなことを考えながらも、いったん忘れて『アートとともに』を楽しむため、「とうしん美術陶芸美術館」へ入りました。ここは無料なのがいいと思いながら展示スペースを進むと、引き込まれてしまうブースがあります。はがき程の大きさの紙に、「〇月〇日〇時、〇〇で〇〇の妖怪を見た」と記し、奇妙な妖怪たちが何枚も並べられています。そして、壁には謎の魚の口から飛び出す妖怪たちです。

 作者の名前を見ると「堀 和暉」とあり、気になったので、帰ってから調べてみると、多治見市の「社会福祉法人みらい」の就労継続支援B型事業施設で、病院などで使われるタオルや白衣、検査着、シーツ、枕カバーなどのクリーニング作業を行っているようです。20231月発行の第40号「けやきだより」では彼の紹介がされており、絵を描き始めたきっかけについて、次のように語っています。

「保育園の頃に人間じゃない動物やカービィなどを描いていました。保育園の頃からお化けが好き、舌切り雀に出て来る妖怪が気になり、小学校高学年の頃は水木しげるさんの 妖怪図鑑をよく見ていました。4年ほど前はみんなには見えていない妖怪が見えていました。」とありました。なるほど。

 

今回は、アール・ブリュットがどうのこうのってことよりも、楽しい作品を見つけたってことが収穫でした。

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ここにもネパール

昨日は、自動車の定期点検整備のためディーラーへ出かけました。点検時間の1時間程の間に担当者の方と雑談をしたのですが、若い人材が不足しているとのこと、特に自動車整備士を目指す若年層が減少し、今年、新たに二人採用された隣の店では、二人とも外国人の整備士だというのです。

整備士不足の原因には「少子化」、「若者の車離れ」、「職業選択の多様化」、「自動車技術の進歩による整備項目の増加」などが挙げられるようですが、一番大きな要因についてディラーの担当者は、「ハードな仕事にしては給料が安い!」と話していました。整備士不足になった今では、営業担当と同等の給与体系になったようですが、以前はかなり格差があったようです。

そして、今日、コーヒー豆を買うため来店された地元高校の先生の話によると、高校卒業後に専門学校へ進む生徒のうち、自動車整備士の専門学校へ進む生徒の数が、ここ7年くらい前から激減したとのこと。なるほど、ディーラーの担当者の話を裏付けるような実態が見えてきました。

では、外国人の自動車整備士の状況を調べてみようと、地元の専門学校「中部国際自動車大学校」を専門学校紹介サイトで見てみます。すると、在籍総外国人留学生数265で、出身国別在籍外国人留学生ネパール138、スリランカ102名、ベトナム8名、バングラデシュ8名、ミャンマー6名、その他3名となっていました。

 この数字を見て思い出したのが、過去に短大の講師としてコーヒーの話をしに行った際、受講者の国籍と同じようだということです。地方の短大の状況と同様に、日本人の学生が居なくなり、替りに留学生を受け入れることで経営が成り立っていることを改めて知りました。 

 それにしても、週末にお客様とネパールのコーヒーについて話をしたせいか、ここにもネパールが登場するとは思いませんでした。

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ナイチンゲール

ナイチンゲールといえば、「白衣の天使」と呼ばれるイギリス人の看護師で、看護師の仕事の基礎を作り、医療制度や医療施設を改革した人物が想像できます。クリミア戦争に看護師団を引き連れて赴き、戦場で心も体も傷ついた戦士たちを勇気づけ「戦場の天使」と称賛されたことでも知られています。

 ところがもう一つ、アンデルセン童話の「ナイチンゲール」もありました。夜うぐいすとも呼ばれるナイチンゲール。はじめてその美しい歌声をきいた中国の皇帝は涙をながします。ところが人々は、地味な生きた鳥より、宝石のきらめく作り物の鳥に夢中になりました。ナイチンゲールは森へ帰ってしまいますが、やがて皇帝が病の床でひとり苦しんでいると・・・。という物語です。

 そんなアンデルセン童話の「ナイチンゲール」を題材に、アクリル画や日本画、ガラス絵など14点の作品を展示しているのが、第5回アートキューブ展覧会「絵と音楽とお話と」です。瑞浪市地域交流センターときわで、7月2日から7月30日まで開催されており、ちょっと覗いてきました。出品者は50歳代から70歳代までの、地元の画家やグラフィックデザイナー、イラストレーターら6人で、中には昔から知っている方々もいるため、「今回はどんな感じかな?」と楽しみでした。

 こうした同一の題材を通して作品を作る場合、アンデルセン童話「ナイチンゲール」の中で、作者がどの場面を表現するのか興味が湧きます。アンデルセンが伝えたかったであろう、他のものに気を取られていると、大切な人がいなくなってしまうことなのか、金や宝石よりも尊い宝があることなのか、はたまた、皇帝が死神にとりつかれて死にそうになった時、みにくい顔や優しい顔などが出てきて苦しむ様子なのか、表現する作者の顔を想像しながら鑑賞したしだいです。 

 ちなみに、7月13日(土)には、童話の朗読・演奏・絵画による公演が行われます。当然ながらまめ蔵の営業日なので見ることが出来ません。残念です。

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今年も飾りました

 自宅へ帰り、玄関に七夕飾りをしました。願い事は毎回決まって家族の健康ばかりですが、寺社仏閣での願いと同様に必ず願いが叶う訳でもないので、装飾の一部だと思えば良いのかもしれません。

 毎年77日に行う「七夕(たなばた)」は、今の新暦に行っているものの、本来なら旧暦に行っていた筈です。旧暦の77日を現在使っている新暦にすると、2024年の七夕は810日となります。そうなると、8月7日の立秋の後ってことになります。

 七夕は夏のイメージがありますが、実は秋の風物詩だったんだと思うと、何だか七夕飾りを見る感覚が変わってきますね。同じように、日常の生活の中では、お盆の時期も新歴、旧暦に別れたりします。面倒な風習のある日本です。 

 とりあえず、今年も七夕飾りをした我が家です。

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久しぶりに九万九千日へ

 昨夜は、お客さまとの会話が縁で、土岐市泉町定林寺で行われた「九万九千日祭」へ行って来ました。以前は毎年のように出かけていましたが、思いもかけない出会いから、十数年振りに出かけてみようと思ったのです。

 ちなみに、定林寺という地名にも関わらず、現在、寺院は存在していません。しかし、1313年以前、鎌倉の円覚寺の開山である無学祖元、その高弟である佛国国師を迎えて開山された臨済宗妙心寺派の寺院がありました。寺域は四方800メートルあった大寺院のようでしたが、1565年に武田と織田の衝突の際、武田の配下の者によって周辺の寺院が焼かれ、定林寺も焼失してしまいました。

 その後、1677年に定林寺村を領地としていた岩村藩主の家臣であった杉山駒之助・深見五郎左衛門らが観音堂を再建し、現在も観音堂が地域の人々によって、焼け残った十一面 観音像が守り続けられています。そのお祭りが毎年七月第一土曜日に行われており、「九万九千日祭」なのです。

 「九万九千日」とは、この日に観音様へ参詣しただけで、九万九千日分の功徳が頂ける大祭で、 九万九千日功徳万倍日ともいわれます。観音様が本尊となっている寺院では、この「九万九千日」が行われているとろも多いのですが、定林寺では夏祭りとして町内の行事となっており、「東濃地方で一番早い夏祭り」として知られています。

 私が「九万九千日祭」へ行き始めた23年前には、JAとうと定林寺支店の裏手には大きな提灯の門が掲げられ、そこから観音堂までの細い道、約300mの道路沿いには各所に提灯が飾られて、夏祭りムードを漂わせていました。そして、観音堂手前の公園の斜面には、七夕に合わせて子供会で作成された七夕飾りあり、公園の中央では盆踊りが行われ、周りには屋台が並んでいました。

 また、「九万九千日祭」の印象で強く残っているのが、観音堂までの道路沿いに町内の区ごとに出し物が並び、童話や風刺をとりいれた電動仕掛けの人形が飾られたり、金魚すくい、パターゲーム、カラオケといったイベントが行われており、町を挙げて祭りを盛り上げていたことです。

 ところが、今回、久しぶりに見た「九万九千日祭」は、観音堂までの道には提灯も無ければイベントも見かけません。何かやっていることが分かるのが交通整理にあたっている消防団の姿くらいです。そんなことを思いながら歩いていくと、観音堂の方から盆踊りの音楽が聞こえてきます。そして、観音堂の広場へ行くと盆踊りの光景の無く、屋台のテントが並ぶなかで子供と家族連れが一杯いるではないですか。

 よく見ると、業者の屋台の他に、区長会のテントではスーパーボールすくい、東町の射的上、工業組合のクレーンゲーム、本郷町内会のお菓子つり、土居町内会の手作りスマートボール、宮前町内会の輪投げやパターゴルフといった、町内全体で盛り上げるイベントが行われていました。 

 へ~!こんな形になったんだ。という驚きと同時に、「九万九千日祭」が名ばかりになってしまったようで寂しくも感じます。盆踊りの無い中で、「踊り踊~るな~ら♪」と音楽だけが鳴り響く会場を後にしたのでした。

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6月の晦日

昨日、630日に店を閉めた後、妻と共に町内にある八剱神社の「茅の輪くぐり」へ行って来ました。「茅の輪くぐり」は、多くの神社で6月の晦日、つまり630日に行われる「夏越の祓」という神事のなかで行われており、八剱神社でも29日に茅の輪が設置されました。

冷蔵庫の無い時代、食物が傷みやすく疫病も流行りやすいこの時期に、酒や肉を断って身を清め、酷暑の夏を乗り切れるよう神さまに祈った「夏越の祓」で行われる「茅の輪くぐり」は、1年の前半の穢れを清めて災厄を払い、1年の後半もまた無事に過ごせるようにと祈る行事なのだそうです。

まめ蔵も10年目を迎えており、今年も半年が過ぎました。昨年の6月末時点と比べると、来店客数は100.8%と増加するも、売上は96.2%と逆に減少しています。これは、昨年春に新型コロナウイルス感染症が5類に移行されることが決まり、2月~4月にかけて一時的な増加になった事が今年と違う点だと思われます。さて、2024年の後半はどうなりますか? 

まあ、そんな事(重要だけど)よりも、毎日のように新しい出会いがあり、日々新鮮な想いで珈琲屋を続けていられることの方が大切であり、一杯のコーヒーを丁寧に淹れることに専念しようと考えています。

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