■ 2021年1月 ブログ

残念だワ~

 昨日の朝は、前日に録画しておいた、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀“緊急企画” 「おうち時間を楽しく!プロの極意」見ます。

 「各界の第一線で活躍するあのプロたちが、家で過ごす時間を楽しく豊かにするとっておきの技や極意を、“自撮り”動画で大公開!・・(中略)・・長引くコロナ禍、先の見えない不安や鬱々とした気持ちを、少しでも前向きにする“贈り物”。」といった内容の中、カフェ・バッハの田口護氏が出演するというので楽しみにしていたのです。

 ところが、様々なプロフェショナルが登場して極意を紹介する中、カフェ・バッハの動画のほとんどは、田口護氏ではなく田口康一氏が絶品コーヒーの2つのポイントを説明しています。確かに、①粉のメッシュ、②お湯の温度の説明は分かりやすいものの、見たかった田口護氏は前後の数秒だけ登場し、声も少々弱々しさを感じてしまうではないですか。残念だワ~。

そして、昨日の午後は、コーヒー生豆商社によるWebセミナーでした。いまさらながらコロナ禍ということもあって、直接、産地のコーヒーをカッピングしながらのセミナーは行われず、小さな画面を覗きこみながら、手元にあるコーヒーのカップを飲んで参加したのでした。

 今回のテーマは、「エチオピアコーヒーのを知る」です。石光商事(株)のアフリカエリア担当である鈴木さんが講師となり、エチオピアの新型コロナウイルスに関する現在の状況、考えられる弊害、生産者とのつながりついて、および、エチオピアコーヒーの基礎情報、商品特性などの紹介が行われました。

2008 年に開設されたエチオピア商品取引所「ECX」(Ethiopia Commodity Exchange)のメリット、デメリットや、800から1,000もあるといわれるコーヒー輸出業者の中から、信頼できる業者を選ぶポイントなどの説明がありました。でも、国内で生豆商社を選ぶ立場の私にとっては、現地のストーリーを聞く方が楽しいので、ちょっと残念だワ~。 

そのうえ、Webセミナーの時間が午後2時からとなるため、ランチ後に来店されるお客様が増え、落ち着いて受講できないこともあって、内容が頭に入ってこないから残念だワ~。

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うそ替え神事

 125日(月)は、山田天満宮(名古屋市北区)の「うそ替え神事(うそかえしんじ)」が行われる日です。ちょうど定休日と同じ日に行われるため、初めて「うそ替え神事」に行ってきました。

 「うそ」というのは、古くから天神様ゆかりの鳥として親しまれている「鷽」(うそ)のことで、首からほおにかけて美しい紅色で頭と尾が黒く、背や腹はネズミ色の小鳥です。スズメ目アトリ科ウソ属に分類され、和名の由来は口笛を意味する古語「うそ」から来ており、ヒーホーと口笛のような鳴き声を発することから名付けられたようです。

 学問の神様と呼ばれる天神様・菅原道真公の命日である225日と、生まれた日である625日にちなんで、毎月25日は「天神様の日」とされています。そして、毎年125日は、その年初めての天神様の日「初天神(天神講)」として、山田天満宮では天神様ゆかりの鳥りである木彫りの「鷽」を新しい「鷽」と取り替える「うそ替え神事」が行われているのです。「鷽」と取り替えることにより、1年の災いを幸せに替え幸運を招くといわれていたり、凶事をうそにして幸運に替える開運、除災招福のお守りとして木彫りの「鷽」を受けるため多くの人が訪れます。

 もともとは、神棚に供えておいた「鷽」を「替えましょう」「替えましょう」と呼びかけて、手から手へ、取り替えてゆき、凶事をうそにして、幸運に替えることを念願して行われたもので、江戸時代はじめから始まったといわれています。多くの天満宮では木彫りの「鷽」の入った紙袋を、境内に集まった人同士が「替えましょう」「替えましょう」と呼びながら、手から手へ取り替えていく光景がYouTubeでも見られました。しかし、コロナ禍ということもあって、参拝者同士の取り替えは中止となり、「鷽」を受けた際に巫女さんと取り替える形になっていました。

 また、山田天満宮に咲く梅の実で造られた御神梅酒を頂くと、1年災いなく幸せに過ごせるといわれ参拝者に振舞われてきましたが、これも中止となって、一人一本限定で販売されていました。ちなみに、鷽(うそ)は1体1,000円、御神梅酒は1本500円です。 

 ご利益の有無については何ともいえませんが、面白い神事に出会えた一日でした

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新聞記事

 1月24日(日)の中日新聞東濃版に、私も活動している「土岐手話サークル竹の子」の記事が掲載されましたので、この記事全文を載せます。

 

コロナで活動縮小 灯は消さず

 県内の手話サークルで二番目に長い約半世紀の歴史がある土岐手話サークル竹の子(土岐市)が、新型コロナウイルスの感染拡大により活動の縮小に直面している。聴覚障害者への理解を深める講演や手話通訳などに取り組んでいるが、メンバーも徐々に高齢化。若い世代への引き継ぎの活動を地道に行い、ボランティアの灯をともし続けたいとしている。

聴覚障害者への理解と通訳 若い世代に「理念広めたい」

十九日に土岐市鶴里町の市濃南小学校で開かれた手話講座。サークルの小林路子さんと可知琴子さんが、六年生児童に「おはようございます」「ありがとうございます」といった簡単なあいさつのほか、誕生日を伝える数字の手話を教えた。

「大きな声で呼び掛けても振り向いてくれないときは、耳が不自由であるかもしれないと思って相手の見えるところまで回り込んでみて」。聴覚障害者に出会ったときの心構えを説くと、うなずく子どもたち。人気曲「パプリカ」を手話をしながら歌う練習を一緒に行った。

サークルは聴覚障害者の社会参加を促すため、手話を広めるという目的で、聴覚障害者やその家族などが一九七四年に結成した。現在は四十二人の会員が在籍。土岐市下石町の市の福祉施設ウエルフェア土岐と同市泉中窯町の泉公民館の二カ所で毎週一回例会を開き、講師を招いたり会員同士で手話を教え合ったりして手話を学んでいる。

土岐市や周辺の地域の学校や社会福祉施設を訪問して手話の講座などを開き、手話の普及活動にも取り組んでいる。市議会議員の立会演説会や青少年の作文朗読などの行事に依頼があれば手話通訳を行っている。

しかし、新型コロナウイルスの影響が影を落とす。市の施設が使えず、昨年四月以降は毎週二回の例会を開けていない。各種イベントも中止となり、活躍の機会も奪われた。事務局を務める水野政明さん(61)は「事前に準備ができる作文朗読会などが、手話通訳初心者にとって上達の第一歩。開催できないないとモチベーションを下げてしまう」と頭を抱える。

メンバーの年齢層は四十~七十代で、若い世代は皆無。一九八一年の国際障害者年には、福祉への意識が高まったこともあり百人を超え、看護学生なども参加していたが、以降は会員が減少。水野さんは、手話通訳の手助けが必要であった聴覚障害者もインターネットなどで情報を得られるようになり、地域のコミュニティーに参加しなくなったことも要因の一つとみる。

水野さんは「聴覚障害者と手話で会話しながら上達していく場が減っているのも、会員が減っている原因かもしれない」と想像する。サークルの活動目的は「手話を覚えるだけでなく、聴覚障害者への正しい理解を促すこと。この理念を広めていきたい」とサークルの活動の重要性を若い世代に伝えていくつもりだ。

 

この記事の取材を受けるため、まめ蔵のカウンター越しで一時間半、会長の自宅で会長夫婦が一時間程話をしました。多少の錯誤はあるものの、概ね好意的な内容となっており安心しました。

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幸せの時間

 先日読んだ、「珈琲屋の人々~どん底の女神~」(著:池永陽)の中で、冬子が玲子に強い口調で放った言葉が印象に残っています。「幸せって玲子さんが考えているよな、そんな大きなものじゃない。玲子さんの頭のなかにあるのは楽しさのようなもので、本当の幸せじゃないと思う。」「朝日をあびて、ああ元気が出るなあと思ったときや、夕日を眺めて美しいなあと感じたとき。ご主人がおいしそうにごはんを食べているのを見て、思わず頬が緩んだとき。それに、寒いときに温かい飲物を口にして、ほっと一息ついたときや、他人から受けた思いがけない親切・・・私はそんな、ささいな歓びが本当の幸せだと思う・・ そして、そんなささいな歓びは、玲子さんも今までの結婚生活のなかで何度も経験してきたはず。それを思い出してほしい。そんな小さな喜びの連続が、生きるってことだということを。」

 冬子は、幸せは味わうものではなく、そっと噛みしめるものだと思うというが、幸せの感じ方は多種多様にあるように思える。三大幸福論と言われる、ヒルティ、アラン、ラッセルの『幸福論』から、椎名林檎の『幸福論』まで、時代や立場によっても捉え方は様々です。信仰や信念を持って生きることが幸福につながるとするヒルティ、くじけない楽観主義を説いたアラン、幸福とは待っていれば向こうからやってくるものではなく、自ら獲得すべき能動的な営みであるとするラッセル。「君が其処に生きているという真実だけで幸福なのです」と歌う椎名林檎とは随分違うものです。

 私は冬子の感覚に近く、そう気付いたのが比較的早かったこともあり、幸せを感じる期間が長いと思っています。「当たり前の日常にこそ、幸せはつまっている」と、ラジオのパーソナリティの方も言っておりましたが、コロナ禍でその当たり前の日常が変容している近頃だからこそ、楽しさばかりではなく、そっと噛みしめる幸せに気付く時間にしてもらいたいものです。コロナ禍だから失うものもあれば、見つけられるものもあるような気がするんだけど。 

 毎日、コーヒー豆を購入される方のために、せっせと焙煎する時間に幸せを感じるまめ蔵の店主でした。

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看護の現場

 12日に、西村康稔経済財政・再生相が記者会見で新型コロナウイルスの緊急事態宣言に関して、ランチを含めて極力外食を控えるよう呼び掛けたと思ったら、17日には、愛知県がこの日の感染者171人のうち、若者同士が会食したり、高齢者がモーニングなどの機会に複数人で会食したりして感染したケースが多いという。これでは、夜も昼もモーニングもダメじゃん!

飲食店の多くが悲鳴をあげている現状で、同業者の中にはモーニング自体を止めたところや、お一人様専用の形態に変更したところも出てきました。そもそも感染経路の多くが会話による飛沫感染なのですから、会話をしなければ良いのですが、お酒を飲みながら互いの愚痴をこぼし合ったり、コーヒーを飲みながら世間話をすることが飲食店へ行く目的の一つになっているため、完全に休業しなければ感染拡大を止められないのかもと思っています。

それだけ多くの人の感覚が昨年と比べて鈍感になっており、新型コロナウイルス感染防止に対する意識の低下が感じられるのは私だけでしょうか。今年に入ってからの土岐市内感染者数を見ても明らかで、クラスターになった場所が東濃三市の接待を伴う飲食店であり、「自分だけは大丈夫」といった甘い感覚を生み、家族や濃厚接触者となった人達への影響を考えていないことが気になります。

そうした新型コロナウイルスの患者を受け入れている医療機関からは、「医療崩壊」の声が上がり始めています。都内のある病院の院長は、「このままではトリアージ(命の選別)をせざるを得なくなります。それだけは、やりたくありません」といった声も上がっているなど、医療の現場は大変な状態です。これまで、医療機関に勤める人達への誹謗中傷に始まって、激励する映像やネオンサインなどもありましたが、現場から求められているものは本質的なものなのです。

そんな声を歌にしてyoutubeにアップしているのが嘉門タツオさんです。叔母が川嶋みどり氏で、その著書を読んで曲を作られました。それが、コロナ禍の看護の現状を歌った看護の現場」です。この歌に対し、看護師だけでなく、医療・介護業、ひいては日本全体の問題と考える方から多くの賛同があり、「拍手よりも早急に法整備を」、「使命感頼みだけではもう限界です」と声があがっています。

 

 自粛、自粛で窮屈な時代ですが、命には代えられないことを再度自覚すべき時かな。

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ここにもコロナの影響

 冬の風物詩でもある寒天作りを見に行くため、恵那市山岡町下手向方面へ向かいました。山岡町でも寒天作りが行われているところは下手向、上手向と呼ばれる地域ですが、今年は暖冬でもないのに干棚は沢山あるものの、白く輝く寒天が少ないように見えました。

 それもそのはず、新型コロナウイルスの影響がここにもあり、有名老舗和菓子店の羊羹等の原材料として採用されてきた細寒天も、コロナ禍によって百貨店や観光地の土産物店等での和菓子販売数が減少し、そのため和菓子店から受注が激減したというのです。

 そこで、寒天作りをしている事業所の「水野寒天」では、寒天の生産過程で出る天草の残渣(ざんさ)を地元農家に肥料や飼料として提供してきたことから、生産されたコシヒカリを「寒天米」としてブランド化し、細寒天とのコラボ商品を開発してネット販売しているそうです。

 

 毎年のように見てきた寒天作りの光景でしたが、見えないところで生き残りをかけた取り組みがなされています。普通に見ることができた「冬の風物詩」も、普通でないことに気づかされた思いです

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珈琲屋の人々~どん底の女神~

 新型コロナウイルス感染拡大によって来店客数が減る中、コーヒー豆を焙煎する合間にAmazonから届いた本を読んでいます。タイトルは「珈琲屋の人々~どん底の女神~」(著:池永陽)で、「珈琲屋の人々」の4作目となるものです。出版社である双葉文庫の紹介文によれば、「避けがたい理由で人を殺してしまった喫茶店『珈琲屋』の主人・行介と、かつて行介の恋人だった冬子。ふたりの恋の行方を軸に、『珈琲屋』のある商店街に暮らす人々の苦しみや喜びを描いて人気を集めるシリーズ最新作。まさに〝人間ドラマ〟と呼べる7つの物語がつながる連作短編集。」とあるように、・ひとり、・女子高生の顔、・どん底の女神、・甘える男、・妻の報復、・最終家族、・ふたり、という7編が綴られています。

 「ひとり」に登場するホームレスの米倉と仲間の犬であるイルが別れる話から、最後の「ふたり」に繋がるであろうことが容易に想像できてしまうところはご愛嬌として、島木や冬子とともに『珈琲屋』に訪れる訳ありの登場人物が、時代を反映するようなストーリーとなっており、2009年1月に始まった「珈琲屋の人々」がシリーズ4作目となった時間の経過が見て取れます。

 同じ珈琲屋ではありますが、行介のような人を殺めた過去もなく、過去を忘れまいとアルコールランプの火で右手を焼くこともない。還暦を過ぎた私の手にはケロイドではなくて加齢によるシミが増えるばかりです。ましてや、カウンターに座る客にはプレイボーイの島木も美人の冬子も訪れず、「たまには若い子でも来ないかな」と、小窓のついた入口ドアを覗く日々です。

 時々、始めてコーヒー豆を購入される方や、カウンターに座る馴染みの方に試飲にコーヒーを出しますが、「一杯目は心を和らげ、二杯目は体を和らげる。だから、二杯目は砂糖とミルクをたっぷり入れて。これは常連さんへのうちのサービスですから。」などと気の利いた言葉などの愛嬌もなく、ミルクではなく植物油脂のコーヒーフレッシュしか出さない店なのです。

 しかし、まったく類似点がないかといえばそうでもなく、「はやってないから、人に聞かれたくない話をするには最適か・・まさにその通りだから、何の文句もいえないな。」と行介が言うように、はやっていないから「まめ蔵は俺の隠れ家や!」とお客様が話しているくらいですから、両方とも儲からない店ではあります。 

 今回、4作目で行介と冬子との関係が進展するのかと期待していましたが、相変わらずの関係性は変わりありません。ただ、冬子がパパ活をする女子高生の理菜に言った言葉、「どんなことでも何かを得るってことは、何かを失うことなの。特に常識外の方法で何かを得たときは、これも常識外の大きな何かを失うことになるはず。私はそう思う。」という思いと、行介が夫への復讐のため浮気をする玲子に言った言葉、「何かを得るこということは、何かを失うことでもあるんですよ。逆に、何かを失うことは何かを得ることでもあるんです。」と繋がるところに、変わらぬ二人の結び付きを感じます。次回作が楽しみです。

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国の緊急事態措置

 今年に入って、土岐市内の新型コロナウィルスの感染数が急増しています。そんな中、14日に国の「緊急事態措置を実施すべき区域」に岐阜県が指定されたことから、1月9日に発令された県独自の非常事態宣言よりも強い対策が出されることになりました。そして、次のような緊急対策によって、「1日当たり新規感染者50人を切る程度」となるよう目指すことになっています。 

(1)リスクを伴う飲食の自粛 

・昼夜を問わず、自宅・外食を問わず、以下の飲食については自粛。 

・家族やパートナー以外との飲食 

・長時間の飲食 

・酒類を伴い、大声を出す飲食 

・マスク無しで会話を伴う飲食など 

・「GoToイート」の既発行食事券の利用自粛。 

(2)不要不急の外出自粛(昼夜を問わず、特に夜8時以降) 

・医療機関への通院、食料・医薬品・生活必需品の買い出し、必要な職場への出勤、屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要なものについては、自粛要請の対象外。 

(3)県をまたぐ不要不急の移動自粛特措法第45条第1項 

・特に、緊急事態措置を実施すべき区域の都府県(東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県、大阪府、京都府、兵庫県、愛知県、福岡県、栃木県)に対しては移動自粛を徹底。 

となっています。今回は、飲食店に対する時短要請の対象を「酒類を提供する飲食店」から「飲食店」に拡大し、1月16日(土)から2月7日(日)まで、20:00までの営業時間短縮を要請しているのが特徴です。ただ、まめ蔵としては閉店時間が5時なので全く対象外となりますが、「昼夜を問わず、自宅・外食を問わず、家族やパートナー以外との飲食については自粛。」となっていることから、来店客数は激減しているのが実態です。救われるのが、昨年と同じようにコーヒー豆をお買い求めになる方々には、今のところ大きな変化がないことでしょうか。 

 土岐市においては、1月の前半だけで49人と昨年の感染者数を超えてしまっていることから、来店客数の激減は真面目に外出自粛をしていることになるのですが、飲食店にとっては厳しい冬を迎えることになります。もっとも、地場産業は真冬の状態が以前から続いているのですが。 

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お酒はなくても、生きていける

 「一杯の珈琲に、心がふるえる。一杯の珈琲に、心が揺さぶられる。いつしか、琥珀色した魔法の飲み物なしでは、生きていけなくなった。珈琲なしの人生なんて!そんな珈琲愛好家、すべての人に捧げます。」こんな書き出しでPRしているのが、岡山市内にあるアートスペース油亀の企画展「珈琲のための器展 ~お酒はなくても、生きていける~」です。 

今回で11回目を迎える油亀の大人気企画で、北は北海道、南は沖縄、日本全国より珈琲をこよなく愛する作り手たちが生み出した珈琲を味わうための、珈琲のための器が集まります。期間中は各地のコーヒー専門店が交代で出展し、店内で器を眺めながら楽しめるのですが、新型コロナウイルス拡大中とあって、今年は中止となった模様。 

 酒を飲まなくなった私にとって、お酒はなくても生きてはいけるし、酒なしの人生も困らない。けれど、一杯の酒に心がふるえ、一杯の酒に心が揺さぶられ、魔法の飲み物なしでは生きていけなくなった人も多いのも確かかもしれません。「酒を楽しめないのは人生の半分を損している。」なんて言われたこともありましたが、今では酒類提供の飲食店に対する時短要請の延長・強化され、営業時間が午前5時から午後8時までに短縮、酒類の提供は午前11時から午後7時までなることが県内全全域に適用されました。酒飲みの方には辛い時代になってきました。 

 岐阜県では非常事態宣言が19日に発令され、19日~27日までの間は県民に対して行動変容を次のように要請しています。 

1 リスクを伴う飲食の自粛
 〇昼夜を問わず、自宅・外食を問わず、以下の飲食については自粛を。
  ・家族やパートナー以外との飲食
  ・長時間の飲食
  ・酒類を伴い、大声を出す飲食
  ・マスク無しで会話を伴う飲食 など 

2 不要不急の外出自粛
 〇昼夜を問わず、特に夜8時以降の不要不急な外出は自粛を。 

3 県をまたぐ不要不急の移動自粛
 〇特に、緊急事態措置を実施する13県(東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県)、愛知県及び21県(大阪府、京都府、兵庫県)に対しては、移動自粛の徹底を。 

 こうした飲食や外出の自粛によって、酒類を提供する飲食店のみならず、コーヒーを提供する所にも影響が出てきており、昨年の4月~5月にかけての県の緊急事態宣言や国の非常事態宣言の期間とは異なる状況が始まりそうです。特に土岐市では、12月31日時点の感染者数33人が1月12日には74人と急増していることから、お客様の意識も変わってきたのかもしれません。 

 まあ、こんな時には、まめ蔵のコーヒー豆を買って家カフェを楽しんで欲しいものです。~お酒はなくても、生きていける~でも、コーヒーだけは飲みたい! 

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珍宝焼

 たこ焼、お好み焼、どら焼、今川焼、タイ焼、おやつになる〇〇焼の数ある中で、「珍宝焼」というものがありました。この珍宝焼は愛知県小牧市にある田縣神社(たがたじんじゃ)の境内の屋台で販売されていたもので、タイ焼のように珍宝の型で焼いたおやつです。 

 実は、先日、御朱印集めを始めた妻のため、「面白い神社があるけど行く?」と言って、小牧市の田縣神社と2k程離れた場所にある、犬山市の大縣神社へ誘ったという訳です。初詣を分散して行っているということもあって、境内にはいくつも屋台が並んでおり、その中で一つに「珍宝焼」というのを見つけ、母親への土産として買ったのでした。(母親は笑って完食) 

 後から調べてみると、チョコバナナのバナナを珍宝形に成形して販売している「ばなちん」や、珍宝を模した棒付きの飴の「授かり飴」、珍宝の焼き型に生地を流し込み、フランクフルトを入れて焼き上げた焼き菓子「珍呆参」などというのもあるようです。 

 なぜこのような珍宝に関係した幾つもの品があるかというと、この田縣神社は五穀豊穣の神「御歳神(ミトシノカミ)」と子宝・安産の守護神「玉姫神(タマヒメノミコト)」を祀る神社で、古来より男茎形をお供えする風習があったとされており、その風習は今なお続いているからです。そのため、神社の境内には多様な男根(男性器)の奇石やオブジェなどが奉納されており、本殿および奥宮に「大男茎形(おおおわせがた)」と呼ばれる木彫りの巨大な男根を御神体として祀っています。 

 田縣神社では、毎年3月15日に豊年祭(ほうねんまつり)と称して、直径60cm、長さ2m余りの大男茎形(男性の性器)を毎年新しく檜で作成し、それを厄男達が御輿に担ぎ御旅所から行列をなして奉納し、五穀豊穣、万物育成、子孫繁栄を祈願する神事が行われ、地元のテレビ話題になっています。今のようなコロナ禍では、いったいどのように行うのでしょうか? 

そんな珍宝焼を見つけて喜んでいる私は、還暦を過ぎたと言うのに思春期のようにはしゃいでおります。まったくバカバカしい限りですが、接客を伴う飲み屋ではしゃいでいるよりは良いのかも知れません。そういえば、昨年、三河特産珍宝(ちんぽう)柿の汁をニカラグアの銘園ブエノスアイレスのコーヒー豆に含浸させた、世界初の珈琲豆「珍宝」ってものを焙煎していた御仁もいたっけ。 

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アンドリュー・ワイエス

 多治見市の現代陶芸美術館で開催中の、「アンドリュー・ワイエスと丸沼芸術の森コレクション展」(15日~314日)を観に行きました。埼玉県朝霞市で若手芸術家たちの制作活動支援を行っている「丸沼芸術の森」は、その優れたコレクションでも広く国内外に知られており、今回は、そのコレクションからアンドリュー・ワイエスの水彩・素描を中心とする絵画コレクションや、設立者の芸術志向のきっかけとなった陶芸コレクションが展示されています。 

 ただ、私が見たかのは加藤孝造をはじめとする現代の陶芸作品や村上隆や入江明日香らの作品ではなく、アンドリュー・ワイエスの作品というか習作の数々でした。ニューヨーク近代美術館所蔵する代表作の一つである、「クリスティーナの世界」(1948年)の習作をはじめとする習作群は丸沼芸術の森コレクションの主軸であり、作者の制作プロセスを如実に語る貴重な資料で、観る側の想像力を掻き立てるものとなるからです。 

 アンドリュー・ワイエスは小さな頃から虚弱だったため学校へは行かず、家庭教師から読み書きを学び、挿絵画家だった父親から絵画技法を習い、ほぼ独学で画家になりました。生地であるペンシルベニア州フィラデルフィア郊外のチャッズ・フォードという村と、別荘のあるメーン州クッシングの2つの場所以外、ほとんど旅行もせず他の場所には行ったことがなく、作品はほぼ全てをこの二つの場所の風景や人々を描いていることから、引きこもりの天才画家とも言われることもあります。何だかコロナ禍で半引きこもり状態の今だから、妙に観てみたくなったのかもしれません。 

 美術の教科書に出てくる「クリスティーナの世界」に登場するクリスティーナは、ワイエスの別荘の近くに住んでいたオルソン家の女性です。会場入口には、そのオルソン・ハウスの模型が展示されていました。病弱で孤独に育ったワイエスにとっては、ポリオで足が不自由なクリスティーナが、誰の助けも借りずに野原を這って我が家へ進む姿に自分にはない力強さを感じたのでしょうか。彼女との出会いの時からその死まで30年に亘ってこの女性を描き続けたようです。 

 現代陶芸美術館で陶芸作品を熱心に見ることもなく、アンドリュー・ワイエスの作品に浸った一時でした。 

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感染拡大中

 「岐阜県と岐阜市は6日、新たに県内で102人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。1日あたりの新規感染者数は、5日の98人を上回り過去最多。」(中日新聞電子版)こんなニュースが連日続いていることもあってか、昨年末からの来店客数が減少し続けています。店内の飲食によるリスクが減る訳ですから、ある意味安心して焙煎に専念できる環境になりました。しかし、想定している感染拡大はこれから先なので、地域経済やお客様の反応を見ながら感染対策も変えなければいけないのかもしれません。 

 新型コロナウイルスによる感染者数が発表されると、時々、夜になって岐阜県や岐阜市のデータを確認しているのですが、1月6日に発表された県感染症対策推進課と岐阜市の資料を見て、一つ気になる項目がありました。公表された資料の中の「陽性判明日」の内、1月5日判明が79名で、6日判明が23名と一日遅れの発表数が極端に多くなっています。PCR検査には数時間程度で検査ができるものの、検査数が多いために滞留しているのではないかと想像ができます。年末年始で休みとなる期間中に検査件数が減っていることは、岐阜県の資料を見ても明らかですから、今後もこの傾向は続いていくのでしょうね。 

 さらに気になるのが、岐阜県の11日から(5日間)の検査陽性率が10.2%もあることです。東京都が14%程の陽性率になっていることから、岐阜県においても同様の状態になれば感染者数は増える一方です。そうした数字によって、改めてコロナ禍の生活に慣れてしまった緩んだ気持ちが引き締まればよいのですが。席数を減らしたり、来店人数の制限をしなくても、お客様自身が判断して利用されることは良い事ですが、飲食店を営む側としては厳しさが一層増すことになります。 

 私のように一人で珈琲屋を営む者にとっては、「こんな時もあるさ。」と言っていられるのですが、従業員を雇っている店主にとっては悩ましい日々が続きそうです。 

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松屋コーヒー詣

 今年は新型コロナウイルスの影響で、これまでにないお正月を過ごすことになりました。毎年、神奈川県に住む娘達が年末にやってきていましたが、高齢者のいる我が家では感染防止のために帰省を控えてもらい、夫婦と母親だけの静かな正月を迎えます。そして、公民館主催の新春歩け歩け大会も中止となり、朝から雪が舞って家に篭っていたのです。

 しかし、さすがにコタツとテレビだけの生活には飽きてしまい、妻の誘いもあって町内の八剣神社と若宮神社に散歩がてら初詣にでかけます。そして、一日おいて恵那市山岡町にある飯高観音へも向かい、なんとなく正月気分を味わいながら過ごしました。来客もなく、妻の実家へも行くこともなく、お年玉も手渡すこともない、ただ休んだだけの日々でした。唯一変わらないのは、二日の朝に私が作る「とろろいも」くらいなものでしょうか。

 そして、4日の月曜日は久しぶりに店へ向かい、少しばかり焙煎を行って明日からの準備を始めます。ペーパーを補充し、松屋式の金枠を整理しながら、「そういえば、神社仏閣に初詣にいったのなら、今年は松屋コーヒー本店に行ってみるか!」と思い立ち名古屋の大須へ向かったのでした。松屋式でコーヒーを淹れている私にとっては、松屋コーヒー本店は本山みたいなものであり、西尾市のフレバーコーヒーは別院といった感じなのですから。 

 車で大須までの道のりは意外と渋滞もなく、スムーズに進むことができました。駐車場も空きがあり、大須商店街も普段と変わりない人出のようです。松屋コーヒー本店には改装工事が済む前に訪問したので1年ぶりくらいになるでしょうか。店内を見渡すと小型焙煎機が設置された小さなカウンターに松下会長がいます。挨拶を済ませ思わず手を合わせそうになりましたが、さすがにそこまですると変な宗教みたいになるので止めます。 

 松下会長からコーヒーを淹れていただけるというので、ニカラグア・ブエノスアイレスのマラカトゥーラをいただきながら雑談します。コロナ禍で大須商店街の賑わいが減ったことや、コーヒー豆や抽出の話などをしていると、今度は、ドミニカ・プリンセサ ワイニーをデミタスカップに注いでいただきました。ナチュラルの甘い香りを楽しみながら、正月早々贅沢な気分になってしまいます。 

 昨年から車の運転を止めてしまった松下会長のようですが、相変わらず元気なご様子です。最近は、名古屋までもが足が遠のくようになってしまいましたが、再び訪問しようと思いながら「松屋コーヒー詣」を終えるのでした。さあ、明日から営業再開です。 

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