50年目

 今日は、土岐手話サークル竹の子の総会開催日です。そういう訳で、まめ蔵を臨時休業にし、会場となるエウルフェア土岐に出かけました。

土岐手話サークル竹の子が設立されたのは昭和49年、今年で50年目を迎えます。岐阜県で2番目に設立された手話サークルで、最初に設立された岐阜市内の手話サークルは数年前から活動を休止しており、半世紀に渡って活動を続けている数少ない手話サークルになります。こうして続けてこられたのは、これまで多く先輩会員の方々によってバトンタッチされてきたからです。

 手話サークルの目的は、「私達は手話を学びサークル活動を通じ、ろうあ者への理解を深めると共に、より多くの人々にこれを広める。又、良き仲間として、ろうあ者の生活と権利を守り、差別のない社会を築く事を目的とする。」と規約に明記してあります。サークルが生まれた約50年前、ろう者は「準禁治産者(心神耗弱・浪費癖のため、家庭裁判所から禁治産者に準ずる旨の宣告を受けた者。法律の定める重要な財産上の行為についてのみ保佐人の同意を要した。)」と見なされ、住宅ローンの利用や家業を継ぐことも出来ませんでした。

 そうした中、ろう者や手話通訳者によって運動が広がり、昭和54年に旧民法第11条が改正され、昭和48年に補聴器装着を条件とした自動車の免許も取得可能から、平成18年には全く聞こえない方にも運転免許が取得できるよう警視庁発表がありました。手話通訳に置いても、平成元年に厚生大臣公認の手話通訳士試験が実施され、平成2年に成立した身体障害者福祉法第33条で、「視聴覚障害者情報提供施設」の設置が盛り込まれ、全国に「聴覚障害者情報提供施設」が誕生しています。

 この50年程の間に、ろう者を取り巻く生活環境は大きく改善されました。しかし、他の障害者と同様、その障害や障害に伴う派生的な障害が正しく理解されているかといえば、疑問符が残る状況には変わりません。手話サークルとして、「ろうあ者への理解を深めると共に、より多くの人々にこれを広める。」活動は今後も必要になってくるでしょう。ただし、その存在が無くなるような社会になることが本来望ましい姿なのですが。 

 そんな事を考えながら、総会を無事に終え安堵しております。