コーヒー切手

先日、お客様から東京都豊島区にある「切手の博物館」へ行ってきたといって、コーヒーを題材にした記念切手をいただきました。「切手の博物館」というので郵便局の関連施設かと思いきや、1988年に切手収集家であった水原明窓氏が私財を投じて設立した施設のようです。郵便切手文化に関する資料を収集・保存し、研究調査を行うとともに広く一般に公開し、郵便切手文化の振興と発展に寄与することを目的としているとか。

そんな「切手の博物館」で購入したというのが、2002年にニューカレドニアで発行された3連刷りの切手で、コーヒーチェリー、豆の焙煎、カフェの様子までを描いたものです。その1枚にニューカレドニアの美人が描かれ、コーヒーの匂いつき切手でもあります。では、コーヒーの香りを嗅いでみようかと袋をあけるも、切手発行から22年も経過していることもあって、残念ながらコーヒーの香りはしませんでした。

コーヒーの匂いつき切手といえば、2009年にもポルトガルで発行された切手もあります。嗅覚、味覚、視覚、触覚、聴覚の五感を表現した5枚セットの記念切手ですが、そもそもコーヒーを題材にした記念切手はコーヒー生産国の多くが発行し、代表的なコーヒー豆の産地であるブラジル、コロンビアでは、これまでに何種類ものコーヒー切手を発行しています。さらには、中南米のグアテマラ、ペルー、キューバ、コスタリカ、ハイチ、エルサルバドル、メキシコ等々。コーヒー切手を出していない国の方が少数派なのです。

世界初のコーヒー切手といえば、1895年にエチオピア発行されたものです。当時の皇帝メネリク2世の横顔の周囲に、コーヒーの木の葉がデザインされています。最近では、20222月にベトナムでコーヒーのPRを目的とした、コーヒーの香り付き切手4種が販売されたようです。なお、日本でも2008年に「日本ブラジル交流年」10枚組記念切手が発行され、最上部には、移住開始当初のビザスタンプとコーヒー豆、コーヒーの実と笠戸丸が描かれています。これが、日本唯一のコーヒー切手です。

 日本では昭和30年前後に切手ブームが始まりました。特に昭和40年~昭和50年代が全盛期で、記念切手が販売されると郵便局に行列ができている光景を見た記憶があります。大人から子どもまでが容易に入手可能な価格のため、その手軽さが人気の理由でした。私も子供ながらに並んだことを覚えていますが、学校の始業時間に間に合っていたかは定かではありません。(発行日には遅刻しても大丈夫だったかな?)

 今回いただいた切手を発行したニューカレドニアは、オーストラリアの東、ニュージーランドの北に位置し、近隣にはフィジーやバヌアツといった島々がある、フランス領土のリゾート地です。意外にも、世界のニッケル資源の4分の1を埋蔵するといわれるニューカレドニアは、19世末から世界的なニッケル需要とともに大きく発展しました。

日本から遠く離れた南の島ですが、ニッケル鉱石を掘り出すため、1892年(明治25年)に600名の単身日本人男性が、移民会社の斡旋でニューカレドニアにやってきました。採用の際、ニッケル鉱山での5年間の労働契約書が用意され、1919年までに合計5575名にのぼる移民がやってきたそうです。やがて、彼らは現地の女性と所帯を持つようになり、鉱山を離れた後、島のあちこちに定住し、様々な仕事で成功した(菜園、塩田、商業、漁、コーヒー園、あるいは散髪屋、仕立て屋、大工、鍛冶屋など)といいます。日本人は、当時の経済生活に活気あふれる豊かさをもたらす存在であったようです。

 しかし、真珠湾攻撃を境に、この第一世代の日本人たちは敵国外国人として見なされ、そのほとんどが連行され、ヌー島に収容された後、オーストラリアの強制収容所に送られました。45年の抑留を経て、19462月に日本に送還されました。太平洋を隔てた向こう側では、島に残った彼らの現地妻と子供たちが、一家の大黒柱を失い、とてもつらい日々を送ったそうです。また、現地人と結婚しそのまま帰化した人も少なくなく、現在は約8000人の日本人入植者の子孫がいるとされています。 

日本では「天国に一番近い島」という異名を持つニューカレドニアですが、天国とは真逆の人生を歩んだ人達のいる島でもありました。