明後日、6月18日は

 明後日、618日は「海外移住の日」、620日は「国際日系デー」です。 618日は、1908年に第一回ブラジル移民船笠戸丸がサントス港に到着した日にちなみ、1966年に総理府(現内閣府)が「海外移住の日」として制定しました。620日は、日本からの最初の集団移住者「元年者」がハワイに上陸した日にちなんでおり、2018年に開催された第59回海外日系人大会 in Hawaiiにおいて、「国際日系デー」として宣言されました。

 ブラジルへの移民準備施設として使用されていた、「神戸移住センター」は現在、「神戸市立海外移住と文化の交流センター」として当時の資料が展示されており、これまで二度見学に行ったことがあります。コーヒーに関わっている私にとって、ブラジルへの移民政策は理解しておくべき事柄として、自分の目で確かめ記憶に刻んでおきたいと考えていたからです。

 毎年、この時期になると、神戸の坂の上の建物を思い出しながらブラジルのコーヒーを飲むのですが、今年は先月訪問した明治村の「ブラジル移民住宅」と「ハワイ移民集会所」を思い出しています。明治41年(1908)の日米紳士協約により、アメリカへの新規移民が大きな制約を受け、代わって南米への移民が開始され、明治41年(1908)には781名の日本人が契約労働者として笠戸丸ではじめてブラジルへと渡航し、サンパウロ周辺でコーヒー栽培等に従事しました。その後、ブラジルへの移民は年々増加し、昭和初年の最盛期にはその数は年間二万数千人にも及んだといいます。

 この「ブラジル移民住宅」、建設年代は大正8年(1919)と明治とは随分ズレています。そのため、帳尻合わせのように明治村の年表ではブラジル移民船笠戸丸の出港の日に、この住宅のリンク設定がされています。そして、住宅内部にはご丁寧に笹戸丸の模型も展示されているのです。そんな矛盾もありながらも、その隣には関連する建物「ハワイ移民集会所」(建築年代:明治22年(1889)頃)もあるため、移民の流れも同時に学ぶことができます。だから、それを承知で理解することにしましょう。

 今では移民政策はないものの、海外で長期間働いたり移住する人は多く、外務省「海外在留邦人数調査統計」2019年版によると、海外に住む日本人(海外在留邦人)の数は、139370人だそうです。逆に、日本に住んでいる外国人の数は、出入国在留管理庁による20206月末の在留外国人数は2885,904人となっており、総人口の約2% になるんだとか。 

 過去を知り、今を知る。今日もコーヒーを飲みながら、珈琲屋になったことがキッカケで、そんなことを知るようになった自分に驚いています。