普光寺へよりみち

 「久国寺」を後にし、大曽根駅方面へ車を走らせるとトイレに行きたくなりました。ナビの画面を見ると近くに公園があることが分り、公園横の「善光寺」の駐車場をお借りします。用を足した後、看板を見直すと「善光寺」ではなく「普光寺(ふこうじ)」でした。年のせいなのか見間違いもいいところです。 

ところで、この「普光寺」は小さいながら山門をくぐると、見どころいっぱいのワンダーランドでした。黄金に輝く北大佛、その前に鎮座する如意輪観音、十二支地蔵、六地蔵尊、眼病に効験があるという弘法地蔵、龍の口から繰り出す数珠のある龍珠、道元禅師と用典座(ゆうてんざ)の問答を描いた石像と、「久国寺」に負けない面白スポットなのです。 

御器所の竜輿寺の僧、儀存和尚が天正五年(一五七七)に開基したという「普光寺」は、その古い寺には似つかわしくない、平成以降に作られた北大佛などの作品が多く、商売っ気たっぷりだと揶揄する人がいるかもしれませんが、私としては寺に人を招き入れる誘致策として評価したいものです。 

地元のお寺の多くは、檀家がそこそこいるために胡坐をかいているような印象ですから、生きている間にお寺に参る機会がほとんどなく、死後にやっかいになるくらいの感覚で、寺と檀家の距離は遠のくばかりです。寺の話題と言えば、強欲な住職の話題くらいしかありませんから。 

昔は寺子屋といわれてお寺が学校代わりになり、僧侶が先生として子供たちに読み書きそろばんなどを教えていたこともあります。また、学問・人徳を備えた人も多かったことから村人が寺にやってきて、悩み相談にのってもらう姿が多く見られました。さらには、村の戸籍を管理していたり、漢方薬を製造処方していたりしていた時代もあります。 

 「普光寺」は寺の隣にゼンヌ幼稚園を経営していることから、寺子屋くらいしか昔の寺の役割は担っていないのかもしれませんが、興味をそそる大佛や十二支地蔵で人々との距離が近いところは、地元のお寺にも見習ってもらいたいものです。 

 ちなみに、道元禅師と用典座(ゆうてんざ)の問答は、道元禅師が「如何んぞ行者、人工(にんく)を使わざる」と尋ね、用典座は「他(かれ)は是れ吾れにあらず』と答えます。他人のしたことは、自分のしたことにはならない。自分が心をこめて仕事をする、それが典座の仕事だという意味です。「更に何れの時をか待たん」は、今できることは今せねばならないということだと言っている訳ですから。私自身も「今、自分がしなければいけない事」を、しかっり把握したいと思ったのでした。