焙煎をしながら観る

 週末には『下石どえらぁええ陶器祭り』があることから、「あまり混まなければいいな」と思っている、まったく商売っ気のない店主です。そうはいっても、コーヒー豆の商品棚がスカスカではいけないと、朝から焙煎を繰り返しております。そんな焙煎やハンドピックの際に横目で見ていたのが、リトルプリンス 星の王子さまと私』(監督:マーク・オズボーン 2015年)でした。 

 先月は、小説の『星の王子さま』(著:サン=テグジュペリ 訳:内藤濯)を読みましたが、今回はCGアニメとストップモーション・アニメによって制作されたフランス映画です。題名から分かるとおり、原作はサン・テグジュペリの『星の王子さま』なのですが、内容は「星の王子さま」の後日談を9歳の少女の目を通して描かれています。 

原作での、飛行士と王子さまが出会うのと同じような関係性を、少女と年老いた飛行士が出会う物語で始まり、『星の王子さま』の中心となすメッセージである「大切なものは目に見えない」、その「大切なもの」を見つけ出すための苦渋がしっかり描かれており、キツネと徐々にかけがえのない友達になっていくところや、バラとのもどかしいコミュニケーションの様子に表れています。 

ただ、全てが管理され、心の自由を失っている現代社会を皮肉的に描きすぎており、何だか現代社会があまりにも暗いものとして強調されているように感じました。確かに、賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋や、自分の体面を保つことに汲々とする王様 夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家らしき人たちも存在しますが、意外とこの現代社会にも素敵な人もいるのです。 

それに、対照的なものとして登場する年老いた飛行士は、小説に登場する飛行士と同一人物とは思えないほどの常識の無さです。最後のシーン、年老いた飛行士を病院に見舞いに行った少女が、「泣くのはしかたないよね。もうなついちゃったから。」に、「君はきっと素晴らしい大人になる。」と答える姿にホッとします。 

「問題は大人になることじゃない、忘れることだ。」、忘れていなかったからこそ、こうして珈琲屋を営みながら、毎日笑顔で過ごしている私です。