■ 2019年11月 ブログ

珈琲で地域おこし

 週末の旅行先である城崎温泉へ行く途中に立ち寄ったのが、兵庫県豊岡市出石町の出石城下町です。西国に勢威をふるった守護大名・山名氏の本拠地として、近世には五万八千石の但馬の雄藩として繁栄した、「但馬の小京都」と呼ばれる場所でもあります。 

 この出石城下町のある豊岡市は、平成179月に国指定の特別天然記念物・コウノトリが自然放鳥され、人里で野生復帰を目指す世界的にも例がない壮大な取組みが始まりました。また、城下町をはじめ、城崎温泉、竹野浜海水浴場、神鍋高原スキー場、たんとう花公園など、豊かな地域資源を生かすために、平成26年度から地域おこし協力隊の制度を導入しています。 

 そんな協力隊の中には、日本最古の磁器といわれる(言っている)出石焼と珈琲と地域活性化をからめた、「出石珈琲」と名づけた出石オリジナルブレンドを提供するカフェを、2019年度中に設立予定の方もいるようです。現在、オリジナルブレンドを各種イベント限定で出店中で、11月には出石の雑貨屋の軒先で出店したり、12月にはお寺で出石珈琲付きのヨガイベントを計画中のようです。 

 でも、珈琲で地域おこしといっても、その珈琲が出石焼きのような昔からの名産でもなければ、歴史的な珈琲文化との関連性もないと、単に地名に〇〇珈琲と付けただけで意味合いがよく分かりません。結局、観光客にウケるような商品として販売するだけとなり、そうすることが地域おこしとなるのか疑問が残りました。 

 以前、この地区の地域おこし協力隊をされた方で、出石の空き店舗を利用して物産店を開き、全国各地の特産品と出石町住民の手作り品を販売し、地元住民と観光客を結びつける場にしたいと取り組まれました。しかし、来店されるのは観光客ばかりで、地元の人はあまり来なくて思うような交流拠点にはできず閉店したようです。 

 嗜好品であるコーヒーを「珈琲」と漢字表記し、文化的なイメージを仮に少しは持たせたとしても、地域の全ての人がそのコーヒーを飲むわけでもなく、地域おこしの目標がどこにあるのか想像すら出来ませんでした。全国各地で地域の〇〇珈琲とやらを目にするたびに、そんなことを思ってみたりするのでした。 

 地域を元気にすることが、一部の人の商売繁盛をさせることなのか、地域の名前だけをメディアに出して有名になることなのか、それ以上に、そのコーヒーが美味しいのかどうか気になったしだいです。 

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臨時休業

 ホームページのトップ画面に、「臨時休業は11月23日(土)・24日(日)」と長い間表示していましたが、いよいよ今週にその日がやってきます。その日というのが同年会の旅行です。「下石三四五会還暦旅行」と書いた旅のしおりのとおり、昭和34年・35年生まれの同級生を中心とした同年会による還暦記念旅行というわけです。 

 地方の町や村でしか残っていないであろう同年会という集まりも、若い世代には作られることもなく、いずれは消え去る状況になっているようで、若干淋しい気もしますが、私達の会もいつまで続けられるかも分かりません。還暦という筋目にあたることから、1年以上前から何度も相談を重ねており、何だか久しぶりの修学旅行のような気分で手作り感満載の旅行を計画しています。

 画像のような「旅のしおり」をはじめ、車内でのお菓子を自分たちで詰合せたり、100均で揃えたユニークな内容のゲーム、記念アルバムの作成、記念写真用の横断幕も手書きで用意するなど、旅行の前から想い出づくりをしています。いろいろな都合もあってか同年会のメンバーの半数のみの参加となりましたが、楽しい一泊二日の旅にしたいものです。 

 宿泊地は城崎温泉で、行き帰りにいくつかの観光名所を巡るのですが、最後の観光地となるのが日本三景のひとつ「天橋立」です。ここは先日読んだばかりの、『珈琲店タレーランの事件簿 6 コーヒーカップいっぱいの愛』に登場した地です。古事記の第二章「国生み」に登場する、イザナキ神とイザナミ神が天の浮橋という空に浮かんだ橋に立って、沼矛を指し下ろしてかきまわしましたといわれる、「天の浮橋」に由来する場所と伝承されています。 

 小説では、かつての恋人であった二人が、天橋立近くのホテルの一室で「国生み」のごとく交わるのかといった推理に利用されるも、結局というか「やっぱり!」、三枚目の絵は沼矛ではなく〇〇だったという、珈琲店タレーランらしい答えも二時間ドラマ的な内容でした。 

そんなこともあって、妙に天橋立が気になりだしたのですが、二日間臨時休業いたしますので、とりあえず再度お知らせまで。

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珈琲店タレーランの事件簿6

 『珈琲店タレーランの事件簿』(著:岡崎琢磨 宝島社文庫)を読み始めてから何年になるのやら。「コーヒーをこよなく愛する青年。偶然入った珈琲店『タレーラン』で、長年追い求めた理想の珈琲と、魅惑的な女性バリスタ切間美星に出会う。美星が推理を披露する場に立ち会ったことで、その聡明な頭脳に惹かれ、以降しばしば『タレーラン』を訪れるようになる。」こんな感じの物語に惹かれて読み続けきましたが、途中あくびをすることもあり、そのまま眠りにつくこともあり、気付いたら第5巻まで読んできました。 

第1巻:珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を(20128)主人公の美空と青野が出会い、美空が背負う過去の傷を払拭する。 

第2巻:珈琲店タレーランの事件簿 2 彼女はカフェオレの夢を見る(20134月)※家族に焦点を当てた謎解きが多く登場。 

第3巻:珈琲店タレーランの事件簿 3 心を乱すブレンドは(20143)一冊で一つの謎を解くシリーズ初の長編ミステリー。 

第4巻:珈琲店タレーランの事件簿 4 ブレイクは五種類のフレーバーで(20152)今までに起こった事件のその後や過去の登場人物が再登場。 

第5巻:珈琲店タレーランの事件簿 5 この鴛鴦茶がおいしくなりますように(201611)短編ミステリーでありながら、全編を通じて青野の中学時代の初恋相手である、眞子に関するミステリーがちりばめられた作品。 

 そして、『珈琲店タレーランの事件簿 6 コーヒーカップいっぱいの愛』が3年ぶりに発売となり、「もういいか?」と思いながらも読むことになってしまいました。 

ある日、オーナーの藻川又次が突然倒れてしまう。病院での検査の結果、狭心症を発症しており、冠動脈バイパス手術を受けなければならないという。すっかり弱気になってしまった70歳の藻川は、姪の美星に、とある依頼をする。四年前に亡くなった愛する妻・千恵の生前の謎の行動。美星とアオヤマは、藻川の願いを聞き届けるために調査を開始する。千恵の行動を追って、京都、浜松、そして、舞台は日本三景のひとつ「天橋立」に。 

なんだか、もうこれだけでテレビの2時間ドラマを観ているようで、ついつい読み進めてしまう衝動に駆られてしまった反面、珈琲店タレーランの事件簿らしくない!バリスタ切間美星が手動のコーヒーミルで「コリコリコリ」と豆を挽きながら謎解きを進め、推理を終える都度に「その謎、たいへんよく挽けました」と言うのが定番のなに、「割れたコーヒーカップから始まった一連の謎、すべて大変よく挽けました」では、決め台詞に力が無いのです。 

「いまのお話が、私が必要としていたコーヒー豆の最後の一粒でした」とパズルをコーヒー豆に替えたとしても、ちょっと無理な設定や、謎解きの途中での「おや?」と思わせる意図的なほどの流れなど、よくある刑事ものドラマみたいで、最後に「やっぱりね!」の言葉しか出てきません。 

そんな事をブツブツ言いながら、カウンターの奥で、私は白磁のコーヒーカップを磨いているのでした。

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久しぶりに夜の曽木公園へ

 昨晩は三年ぶりに、「曽木公園もみじまつり」のライトアップを見に行きました。曽木公園のもみじまつりは初期の頃から毎年訪れていましたが、前回、家族で向かった際に大渋滞に見舞われ、途中で諦めて帰った経験があって行くのを止めていたのです。正直、地元に居ながら、「そこまでして見に行く価値あるのか?」と気持ちが冷めてしまいました。

 確かに新聞に取り上げられ、地方テレビ局が何度も中継を行ったこともあって、曽木公園は飛騨・美濃紅葉33選にも選ばれ、水面に映る「逆さ紅葉」が紅葉ショーの人気スポットになりました。そして同時に、大渋滞が夕方から始まる現象が起こってしまったのですから、地元が有名になるのは嬉しい反面、気軽に訪れなくなる淋しさもあります。

 ところが最近、お客様から「渋滞もなくスムーズに行けたよ!」との情報を得たこともあり、118日(金)~17日(日)の平日を狙って出かけたというわけです。確かに、以前の渋滞が嘘のようにスムーズに現地に到着でき、ライトアップされた紅葉を楽しむことができました。運よく離れた駐車場でなく、曽木温泉近くに車を留められたこともあって、寒さの中を歩くこともありませんでした。

 紅葉は来週が見頃ということで、イベント終了後が一番の紅葉時期とタイミングが悪いものの、ここ数日の寒気の影響もあってか「まあ、こんなものか」といったところでしょうか。「これなら、また来年も来てもいいかな。」と思いながら、屋台を覗きながら帰ってきました。

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ミャンマーのコーヒーを飲みながら

 最近、ミャンマーのコーヒーを扱うようになりました。商社での商品名は「ミャンマー シャンリー・ブラックハニー」です。ミャンマーでも一番高品質コーヒーが産出されるシャン州ユアンガン、標高1,4001,600mという場所の小農家が作ったコーヒーで、庭先で育てられたコーヒーを一つ一つ丁寧に仕上げているという触れ込みです。ちなみに、「シャンリー」とはビルマ語で「シャン州の」と言う意味だそうです。 

ミャンマーの2大コーヒー生産地は、マンダレー州のピンウールウィンとシャン州ユアンガンです。1800年代後半に、ロブスタ種などのコーヒー栽培から始まり、1930年代以降アラビカ種の栽培も行われるようになります。1930年に、スコットランド人がピンウールウィンから15km離れたChaung Gwae という街でコーヒーの栽培を始めたことから、ミャンマーコーヒーのルーツはピンウールウィンが始まりと言われているようです。 

 コーヒー生産量が8,546トンの世界第39位(2017年 FAO)であるコーヒー産地としてよりも、ミャンマーからイメージするものは「黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)」です。世界の麻薬密造地帯の一つとして知られる、東南アジアのタイ、ミャンマー、ラオスの3国がメコン川で接する山岳地帯で、ミャンマー東部シャン州の北部地域が麻薬密造地帯となっています。そして、このコーヒー豆もシャン州ということもあって、仕入れることにした理由なのです。ただ、ユアンガンはシャン州の西部であり、麻薬密造地帯とは離れています。 

ミャンマーは19世紀には英国領となっていましたが、1948年にビルマ連邦として英国からの独立をはたします。しかし、1962年には軍事クーデターによる社会主義政権が成立し、1988年の全国的な民主化デモにより社会主義政権が崩壊、デモを鎮圧した国軍がクーデターにより政権を掌握しました。その後、民主化運動の弾圧やその指導者アウン・サン・スー・チー氏の拘束・自宅軟禁、そして自宅軟禁解除を経て、民主化へ向かってめまぐるしく変わっている国です。 

そんな混乱期の1989年に、ミャンマー政府は反政府少数派グループとの停戦・和平合意交渉を行い、同時に麻薬撲滅に対する同意を取り付け、1999年から「麻薬撲滅15ヵ年計画」(1999年〜2014年)を開始しました。ミャンマー政府や国連薬物犯罪事務所(UNODC)、独立行政法人国際協力機構(JICA)などが協力し、ケシ栽培撲滅と代替作物導入に取り組んでいます。 

JICAの報告書を見ると、山間地・傾斜地においてコーヒーやコンニャクイモ、永年性作物としてパイナップルやマカダミアナッツの栽培、さらにはソバ栽培によるソバ焼酎やソバウイスキーの生産も行われているようです。ビンのラベルが日本語なので全て日本へ輸出されるのでしょうが、酒を飲まない私には見る機会もありません。 

 コーヒーの栽培を勧めているのは、国連薬物犯罪事務所(UNODC)です。アヘンの原料となるケシは、標高13001800メートルの高地で育ことから、高級コーヒーの産地と同じという立地です。また、アジアではお茶からコーヒーへとニーズが変わっていることから、将来性が見込める産業になりうると考えています。ケシは山の斜面で焼畑農業により育てており、雨期になると雨が土中の養分をすべて洗い流すため、23回収穫をすると同じ畑で栽培は難しく、また別の畑を求めて移動しなければなりませんでした。コーヒーならその場にとどまり、畑を子や孫へと引き継いでいくことができ持続可能な産業になるのという利点もあります。 

 そうしたケシから代替作物への転換は容易ではなく、いまだにケシ畑は残っています。農家がケシ栽培と同等の収入を得るまでには、まだまだ時間がかかりそうです。 

 そんなことをミャンマーのコーヒーを飲みながら、「ボーっとコーヒー飲んでんじゃねーよ!」と叱られないよう、ミャンマーの事を調べていたのでした。 

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普光寺へよりみち

 「久国寺」を後にし、大曽根駅方面へ車を走らせるとトイレに行きたくなりました。ナビの画面を見ると近くに公園があることが分り、公園横の「善光寺」の駐車場をお借りします。用を足した後、看板を見直すと「善光寺」ではなく「普光寺(ふこうじ)」でした。年のせいなのか見間違いもいいところです。 

ところで、この「普光寺」は小さいながら山門をくぐると、見どころいっぱいのワンダーランドでした。黄金に輝く北大佛、その前に鎮座する如意輪観音、十二支地蔵、六地蔵尊、眼病に効験があるという弘法地蔵、龍の口から繰り出す数珠のある龍珠、道元禅師と用典座(ゆうてんざ)の問答を描いた石像と、「久国寺」に負けない面白スポットなのです。 

御器所の竜輿寺の僧、儀存和尚が天正五年(一五七七)に開基したという「普光寺」は、その古い寺には似つかわしくない、平成以降に作られた北大佛などの作品が多く、商売っ気たっぷりだと揶揄する人がいるかもしれませんが、私としては寺に人を招き入れる誘致策として評価したいものです。 

地元のお寺の多くは、檀家がそこそこいるために胡坐をかいているような印象ですから、生きている間にお寺に参る機会がほとんどなく、死後にやっかいになるくらいの感覚で、寺と檀家の距離は遠のくばかりです。寺の話題と言えば、強欲な住職の話題くらいしかありませんから。 

昔は寺子屋といわれてお寺が学校代わりになり、僧侶が先生として子供たちに読み書きそろばんなどを教えていたこともあります。また、学問・人徳を備えた人も多かったことから村人が寺にやってきて、悩み相談にのってもらう姿が多く見られました。さらには、村の戸籍を管理していたり、漢方薬を製造処方していたりしていた時代もあります。 

 「普光寺」は寺の隣にゼンヌ幼稚園を経営していることから、寺子屋くらいしか昔の寺の役割は担っていないのかもしれませんが、興味をそそる大佛や十二支地蔵で人々との距離が近いところは、地元のお寺にも見習ってもらいたいものです。 

 ちなみに、道元禅師と用典座(ゆうてんざ)の問答は、道元禅師が「如何んぞ行者、人工(にんく)を使わざる」と尋ね、用典座は「他(かれ)は是れ吾れにあらず』と答えます。他人のしたことは、自分のしたことにはならない。自分が心をこめて仕事をする、それが典座の仕事だという意味です。「更に何れの時をか待たん」は、今できることは今せねばならないということだと言っている訳ですから。私自身も「今、自分がしなければいけない事」を、しかっり把握したいと思ったのでした。 

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久国寺へ

 今日は、名古屋市北区にある「久国寺」へ向かいました。来年の干支が子年となるため、近くで子年にまつわる神社仏閣がないものかと探してみたら、この久国寺がみつかったというわけです。一足早く、鬼に笑われるかもしれませんが参拝です。 

 子年にまつわる神社と言えば、京都にある「ねずみの社」と呼ばれている、狛犬ならぬ狛ネズミがいる大豊神社があります。神社奥の方の本殿の横にある大国社に狛ネズミがあるのですが、古事記によれば、大国主命(おおくにぬしのみこと)が野火に囲まれて焼き殺されそうなっている時に、洞穴に導いて命を救ったのがネズミだという伝説が由来のようです。さすがに京都までは遠いので、今回は名古屋市までです。

 この久国寺の守り本尊は観世音菩薩です。観世音菩薩のご利益として、「滅罪」、「延命」、「病気治癒」、「安産」、「夫婦円満」、「恋愛成就」などのあらゆる現世利益とされています。また、干支では子(ね)、方位では北を守り、子年のかたの「お守り本尊」として、この年に生まれた方を一代にわたって守護するとされます。 

 そんなこともあって、昭和30年頃には名古屋市観光協会の後援を受け、大名古屋十二支の恵当寺として子年の護り本尊の霊場になっているのですが、大名古屋十二支とは大げさな名前なことか。 

 実は、久国寺に訪れる方の多くが子年の護り本尊の霊場だからという理由より、「芸術は爆発だ!」で有名な岡本太郎作梵鐘 歓喜"という、ユニークな梵鐘があることで知られています。久国寺の住職の知人に岡本太郎氏と知り合いがいたため、鐘の作成を依頼して1965年に作られたそうです。なんと、大阪万博(1970年)の太陽の塔よりも前に作成されているんです。上部の角のようなものは手を表し、下部には妖怪など森羅万象を表現しているそうですが、鐘をついたらどんな音がするんでしょうか?(鐘をつかないよう張り紙あり) 

 その鐘の反対側を見ると、コンクリートで作られた護国観音像があります。この作品は桃太郎神社(犬山市)や五色園(日進市)のコンクリート像で知られる、岐阜県中津川市出身である浅野祥雲の作品です。まさか、ネズミが取り持つ縁なのでしょうか、二人の芸術家の作品を見ることになるとは。 

 さらには、本堂前の横にはセルフサービスの御朱印箱もあり、その菓子箱のブリキ缶を開けると数種類のスタンプが入っています。御朱印代は賽銭箱に入れるんだとか、そんなんでご利益あるんかいな? 

ユニークな梵鐘や名作の護国観音像、セルフサービスの御朱印よりも、本来の目的である早めの子年を済ませ、慌ただしい年末年始が無事に過ぎるよう願ったのでありました。 

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世界からコーヒーがなくなるまえに

 「2080年までに世界中から野生種のコーヒーが絶滅する」とか、「世界的な気候変動や降雨の影響で、50年までにコーヒー豆の生産地が半減する」なんて言われるようになった昨今、「コーヒーが飲めなきゃ、チコリやタンポポでも煎って飲めば?」なんて思っている私。でも、少し気になって、『世界からコーヒーがなくなるまえに』(著:ペトリ・レッパネン、ラリ・サロマー 訳:セルボ貴子)を、自分の店からコーヒー豆がなくなるまえに読んでみた。

 世界一のコーヒー消費国であるフィンランドからコーヒーの未来を考えるという視点から、出版社勤務のノンフィクション・ライターと、コーヒー業界携わった後、起業しコンサルタントの二人は、コーヒーの歴史の一端を多少なりとも知っておくべきだろうと、ブラジルへ向かいます。「世界で最もコーヒー個人消費量の多い国民が、世界でもっとも生産量の多い国へ向かうということが面白いと思えたからだ。」という理由なのだが、コーヒーの歴史については中途半端で残念。事前に「珈琲の世界史」(著:旦部幸博)を読んで欲しかった。 

そうした認識の不充分さを感じるものは、スペシャリティーコーヒーやサードウェーブについてもあるのですが、結構いいとろを指摘しています。 

・「認証制度をことさら強調するのはどうかと思うし、疑問が生じる。純粋にそのプロジェクトでは良い事をしようとしているだけなのか、それとも消費者と社会の目が厳しくなりその矛先をかわすためなのか?」 

・「栽培時にオーガニックであっても、出荷後に古くなったり、湿気を含んだりする。またサスティナビリティ、クオリティとオーガニック、これらについてコーヒー業界に長くいる人でもすべてをきちんと把握している人はそれほど多くは無い。」 

・「フェアトレード認証は高品質のコーヒーを作ろうというモチベーションにはつながらない。どちらかというと質を下げて生産量を上げる方に向かってしまう。」 

 など、日本のコーヒー業界人の本では書かれない(書けない)内容が心地よい。さらに、農業系の学校での話で、「次に、あなたたちが必要な溶剤をお教えするので、私が言う事をよく聞いてくださいね。そしてそれらは私から直接購入して下さい。毎回ですよ!」と彼は化学肥料会社に雇われたコンサルタントの口真似をして見せた。なんて、アメリカ資本との関係性を示してくれます。 

 ただ、そうした彼らが目指す方向がスペシャリティーコーヒーに偏ったように思え、「大手コーヒー産業の考えが、できるだけ多くの市場に安いコーヒーを流通させる事である限り、我々は詐取や悪徳商法などのニュースを目にし続けるだろう。」と、「スペシャリティーコーヒーに特化する生産者たち、サードウェーブコーヒー業界の人達を信ずる。」と言ってみたところで、所詮、同じ穴のムジナではないだろうか?だって、著者自身も「我々人間は、自己中心的で欲しいものや自らの利益を求める種だ。」と言っているではないですか。 

 訳者(セルボ貴子)が「あとがき」のなかで、「確かに本書は、不当に安いコーヒーをやめ、もう少しお金を出し、少ないが豊かにコーヒーを楽しもう、そうすることでサスティナブルにしようというのは良薬口に苦しの内容だ。」とあるように、コーヒーより苦い内容も誰かが伝えるべきであると思う。そして、コーヒーに携わるちっぽけな一人として、「実際は、かなりの量のコーヒーが作りすぎで、保温状態でまずくなったからと流しに捨てられている。」ということのないよう、一杯一々を大切に丁寧に淹れたいものです。

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花壇植え替えの季節

 昨年は10月29日に行った花壇の植え替えが、今年は11月4日と一週間遅れとなりました。今回もというか、毎回のごとく妻の応援がなければ出来ない作業ですので、妻の要望もあって、ビオラへの植え替えに加え、自宅から持ってきた紫陽花とラベンダーの苗も植えました。このままいくと、芝生の部分が全部花になってしまうのではないかと心配になります。もともと、生き物の世話をするのが苦手な私にとって、枯らしてしまうリスクが高まるというものです。 

 以前は、ビオラではなくパンジーを植えていましたが、なんと、パンジーとビオラは学術的に同じものだとか、園芸の世界では花の大きさで区別しているようで、花の大きさが約5cm以上のものが「パンジー」、約5cm以下の「ビオラ」と呼ぶようです。さらに、パンジーとビオラの中間の大きさの花を「パノラ」と呼ばれる品種も登場しているとか。なんだか、騙された気分になります。 

 花壇植え替えの季節となり、急に秋が深まった感じがしたこの頃です。

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色々考えた二日間

 週末行われた『下石どえらぁええ陶器祭り』は、開催期間2日間とも好天に恵まれ、まずまずの人出だったようです。ただ、窯元の出店数や飲食ブースの出店数が減少したことから、淋しい光景だったと来店されたが話していました。こうした地域のイベントも長く続ければ曲がり角に差し掛かっているのですが、曲がることも出来ずに下降していくのみなのでしょうか? 

 そんな2日間を戦々恐々として迎えた「まめ蔵」では、午前中の静けさとは打って変わって、午後からは何組もの方々をお断りする状態になり、なんとも居心地の悪い時間を過ごしました。例年、2日間のどちらか1日が雨となるため、落ち着いて過ごしていただける場所になるものの、これまでになく多くの方が来店されたこともあって、満足いただける珈琲屋にはなれなかったと反省しきりです。 

 いっそ、この2日間をコーヒーの豆売りに限定してみるかとも思ってみたりしましたが、コーヒーを楽しまれてコーヒー豆を購入される方もあることから、そうした機会を奪う事も出来ず、正直、悩ましいばかりです。「美味しかったです!」と言われる言葉が励みになると同時に、「がっかり!」と思って黙って帰れれる方も多いのではないかと、申し訳なくなります。 

 そんな2日間には、祭り会場で買った「松茸ご飯」や、自宅近くで取れた「富有柿」を差し入れてくださる方がありました。頂いた「松茸ご飯」には、鶏肉、エリンギ、松茸、銀杏が入っており、松茸の香りが食欲をそそりました。この地方では、こうした炊き込みご飯のことを「味ご飯」や「味飯」なんて言いますが、これは東海地方での呼び名で、関西では「かやくご飯」、全国的には「混ぜご飯」、「五目ご飯」、「炊き込みご飯」なんだそうです。 

 そんな差し入れの最後に頂いたのが、珈琲屋らしくベトナムのTRUNG NGUYEN チュングエン G7インスタントコーヒーです。このインスタントコーヒーはベトナム国内やベトナム土産としても人気商品だそうで、16gのパックが10個入ったものです。箱の表示によると75mlのお湯を入れるそうなので、デミタスカップに注いでみます。なんとメチャクチャ甘い!!同時に、なるほど!と思います。 

 実は、以前にお客様がベトナムの研修生を連れてこられたので、ベトナム式コーヒー器具でロブスタを淹れたのですが、練乳が少なかったのか(たくさん入れたつもり)、「苦い!美味しくない!」といわれ不思議に感じていたのです。この甘さなら、なるほど納得です。次回、ベトナムの方が来店された時にはこのインスタントコーヒーを出してみます。(賞味期限2021.6.1) 

 色々考えさせられた2日間でしたが、せっかく来店された方々を満足いただけるような気持ちだけは忘れたくないものです。

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珈琲こがし

 お客様から、「珈琲こがし」なるお菓子をいただきました。裏の製造者を見ると、()西倉製菓とあります。この西倉製菓は、熊谷市にある五家寶(ごかぼう)といわれる、おこし種を水飴などで固め棒状にした芯を、きな粉に水飴などを混ぜた皮で巻き付け、さらに、きな粉を表面にまぶしたお菓子の老舗でした。

 「珈琲こがし」は「麦こがし」にコーヒー粉を加えたもので、若い人には「麦こがし」と言ってもピンとこないかもしれませんが、私には懐かしい響きの食べ物です。地方によっては、「はったい粉」や「香煎(こうせん)」とも呼ばれている「麦こがし」は、大麦を煎って焦がし、石臼でひいて粉にしたものです。これに砂糖を混ぜ、熱湯や水で溶いて食べたおやつでした。 

そんな「麦こがし」にコーヒー粉を加えて、木型にはめて固めて打ち出す「打ち菓子」といわれるお菓子の「珈琲こがし」は、なんともシンプルなパッケージデザインで、懐かしく、ほっこりしながら、幼かった頃のおやつを思い出させてくれたのです。

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