頭に入ってこない

 週末は店内で飲食される方は僅かとなり、代わりにサラリーマン家庭の方がコーヒー豆を買い求めに来られ、朝から夕方まで繰り返し焙煎をしていました。平日もこれくらいコーヒー豆を買っていただくと嬉しいと思ってみたりするものの、地域性を考えればこれでも充分すぎるほど利用していただいているので、感謝!感謝!なのです。 

 そんな焙煎の途中に、先日、珈琲狂のツイッターで紹介されていた「The War on Coffee(コーヒー戦争)」という論評を読み始めます。カフェインと資本主義の歴史が意図的に作られたような内容でしたが、私が興味を持ったのは、エチオピアでのカリオモン(コーヒー・セレモニー)に関する記述です。来客に対してコーヒーを淹れるエチオピア独特なイベントは、女性が執り行うものであり、結婚前の女性が身につけるべき作法の一つとされています。日本の茶道と同様、コーヒーを飲むという行為に精神的な要素や教養などが含まれる文化的な習慣であり、他者に対する感謝ともてなしの精神を表すものだとの認識でした。 

 ところが、エチオピアのオロモ族文化では、コーヒー豆がその形から女性の一部に例えられ、コーヒー煎り鉄板の上で煎る際に、男性の一部とされる、ダンナバと呼ばれる棒でかき混ぜます。煎り続けるとコーヒー豆は熱ではじけてハゼ音が出ます。一般的には「パチパチ」と表しますが、エチオピアでは「タッス!」という音で表すようです。その破裂音は、出産と瀕死の男の最後の叫びにたとえられるといいます。

 どうも、これまでのカリオモンでの様子が違って見えてきました。女性が執り行う周りに男性が座り、豆を洗い、煎る様子を眺めて待っている光景が以前と違って見えてきます。そして、自分が焙煎機の前で聞いているハゼ音が、出産と瀕死の男の最後の叫びだと想像すると、なんだか不思議な気分になってくるではないですか。 

 肝心な前後の文章が全く頭に入ってこない状況に、「パス!」と言って別の作業に入りながら、目の前の棚に置いてあるカリオモンの道具を眺めるのでした。