ぶらり恵那峡散歩

 土岐市内の桜も満開となって、ちょっと花見といきたいところですが、一人ではそんな気分にもなれず、とりあえず車を走らせ恵那峡へ向かいます。恵那峡は桜の名所となってはいるものの、桜が見たいというよりも、感染者が発生していない恵那方面に足が向いただけなのです。 

 瑞浪から恵那へ行く途中、道路沿いに咲く花桃、桜、スイセンを眺めながら恵那峡の花桃・芝桜公園に立ち寄りますが、芝桜の見頃はもう少し先のようです。そして、恵那峡に着くと何だか様子が変わっていました。どうやら恵那峡さざなみ公園周辺が整備され、観光客に恵那峡を紹介するビジターセンターや駐車場が新しくなり、高台にある公園には遊具や遊歩道もできたようです。 

 そうした公園の整備を記念し、329日(日)から412日(日)まではリニューアルイベントウイークとして、さまざまなイベントが開催されるよていだったそうですが、このイベントも新型コロナウィルスの影響により中止となったんだとか。 

 そんな話を五平餅を食べた土産物店の店主と話していると、「ぜひ、ビジターセンターに行ってみやあ!日本初のダムが作られた様子がパネルになっとるで。」と言われます。「日本初?」確かに、この恵那峡は岐阜県恵那市大井町と中津川市蛭川(旧・恵那郡蛭川村)の境に建設された大井ダムの完成でできた景勝地です。でも、日本初ってのも初耳で、気になって覗いてみました。 

 ビジターセンターに入ってみると、日本初という意味が分かりました。 1924年(大正13年)に木曽川水系で最初に造られた大井ダムは、高さ53.4メートルの重力式コンクリートダムであり、半川締切工法によって建設された最初のダム。それまでの粗石コンクリートダムと異なり、軟練りのコンクリートに玉石を投入する方法で築造された最初のダム。機械化施工、本格的ボーリング調査、基礎岩盤にカーテン状にセメントやモルタルを充填するカーテングラウチングなども日本初で、戦前のダムの金字塔のひとつだといわれているんだとか。そして、土木学会の「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2000選 」にも選定されているようです。 

 この大井ダム建設時の電力会社は、大同電力という大正・昭和期の大手電力会社で、「電力王」と呼ばれた実業家福澤桃介が建設を主導しました。2018年4月に阿智村で花桃を見に行った時のブログにも登場した、福沢諭吉の娘婿にあたる福沢桃介です。ビジターセンターでは、この福沢桃介の行った外債発行で資金調達したことや、工事の様子などがパネルで見ることができます。 

 ぶらりと恵那峡を散歩をしましたが、新しい発見をした一時でした。