みとりし

 お店のカウンターには様々な方が座られます。時には、自分の知らなかった分野で活躍された方も居て、これまでの狭い視野が少しだけ広がります。そんな人たちの中で、昨年、「みとりし」になろうとしている方に出会いました。「みとりし?」という言葉を聞いて、最初は吉本芸人の「見取り図」の文字が浮かびましたが、直ぐに「看とる」に関連した仕事だと気づきます。けれど、これまでに聞いたことのない「看取り士」です。 

 妻の仕事柄、「緩和ケア」とか「ホスピス」という言葉は知っていました。財団法人日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団によれば、「緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面する患者と其の家族に対して、痛みや其の他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメント対処(治療・処置)を行うことによって、苦しみを予防し、和らげることで、クオリティ・オブ・ライフを改善するアプローチである。」そうです。 

 そして、「ホスピスは1967年、シシリー・ソンダース博士によって開設されたロンドン郊外の聖クリストファー・ホスピスに始る。主にがんの末期患者の全人的苦痛を、チームを組んでケアしていこうというもので、日本では1981年に浜松の聖隷ホスピス、1984年に淀川キリスト病院ホスピスが開設されました。」とあるように、緩和ケアを実践する施設となります。 

 しかし、「看取り士」とはいかなる仕事なのか?2008年の映画『おくりびと』に登場する「納棺師」を連想しますが、これは人が亡くなった後、火葬するまでの間を担当する仕事です。お会いした方は一般社団法人日本看取り士会の講習を受けておられ、「看取り士は、余命宣告を受けた人とその家族に対して、相談から始まり、息を引き取る瞬間と、その後の時間に寄り添うためのケアを務めとする。」ことだといいます。 

 よく分からないので、同会会長の柴田さん説明を見てみると、「私たち看取り士は余命告知を受けてから長い場合で3カ月、短いと2週間で、ご本人の状態を見ながら定期的に自宅などを訪問します。時給4千円です。ご本人が死を受け入れて幸せに逝くために、ご家族が幸せに看取るために、作法や考え方をお伝えしていきます」とのこと。 

 説明を読んでも増々理解できなのですが、この「看取り士」に興味をもったのは、91歳の母親と暮らしていることと、また、いずれ夫婦二人だけの生活となることから、人生最後となる時間の過ごし方について、他人事ではいられないからでしょうか。 

団塊の世代すべてが70歳代になるこれから、高齢化社会から多死社会へと移行していくのは時間の問題だといわれています。誰にも訪れる死が、これまで以上に身近になる時代になると分かっていながら、自分たちはどこまで死と向き合っているだろうか。そんなことを「看取り士」という言葉から、改めて考えさせてくれました。 

あるデータによれば、75歳以上の高齢者が今のペースで増え続けると、10年後の2030年の年間死亡者数は161万人になり、病院でも老人施設でも死ねない「看取り難民」は47万人に達するという推計があります。約3.43人に1人が自宅以外の死に場所を失う社会になります。以前なら、「そんなことは、長男の嫁がやっていた。」で済まされましたが、核家族があたりまえで、独居老人世帯増えている現実を見ると、不安を感じずにはいられません。 

これまで、「限りのある人生だからこそ、今を生きている自分は、この瞬間を悔いのないように生きなければ。」などと言ってきました。けれど、単に死を受け入れることに対して目を向けず、避けて通ろうとしていたのではないかとも思えてきます。80代後半のお客様が、「この年になっても死にたくないし、まだ生きたい。」と話されたことを思い出しながら、人の死について考えてみるのでした。 

答えの出せない日々を繰り返しながら、年を重ねていくのかな?