世界からコーヒーがなくなるまえに

 「2080年までに世界中から野生種のコーヒーが絶滅する」とか、「世界的な気候変動や降雨の影響で、50年までにコーヒー豆の生産地が半減する」なんて言われるようになった昨今、「コーヒーが飲めなきゃ、チコリやタンポポでも煎って飲めば?」なんて思っている私。でも、少し気になって、『世界からコーヒーがなくなるまえに』(著:ペトリ・レッパネン、ラリ・サロマー 訳:セルボ貴子)を、自分の店からコーヒー豆がなくなるまえに読んでみた。

 世界一のコーヒー消費国であるフィンランドからコーヒーの未来を考えるという視点から、出版社勤務のノンフィクション・ライターと、コーヒー業界携わった後、起業しコンサルタントの二人は、コーヒーの歴史の一端を多少なりとも知っておくべきだろうと、ブラジルへ向かいます。「世界で最もコーヒー個人消費量の多い国民が、世界でもっとも生産量の多い国へ向かうということが面白いと思えたからだ。」という理由なのだが、コーヒーの歴史については中途半端で残念。事前に「珈琲の世界史」(著:旦部幸博)を読んで欲しかった。 

そうした認識の不充分さを感じるものは、スペシャリティーコーヒーやサードウェーブについてもあるのですが、結構いいとろを指摘しています。 

・「認証制度をことさら強調するのはどうかと思うし、疑問が生じる。純粋にそのプロジェクトでは良い事をしようとしているだけなのか、それとも消費者と社会の目が厳しくなりその矛先をかわすためなのか?」 

・「栽培時にオーガニックであっても、出荷後に古くなったり、湿気を含んだりする。またサスティナビリティ、クオリティとオーガニック、これらについてコーヒー業界に長くいる人でもすべてをきちんと把握している人はそれほど多くは無い。」 

・「フェアトレード認証は高品質のコーヒーを作ろうというモチベーションにはつながらない。どちらかというと質を下げて生産量を上げる方に向かってしまう。」 

 など、日本のコーヒー業界人の本では書かれない(書けない)内容が心地よい。さらに、農業系の学校での話で、「次に、あなたたちが必要な溶剤をお教えするので、私が言う事をよく聞いてくださいね。そしてそれらは私から直接購入して下さい。毎回ですよ!」と彼は化学肥料会社に雇われたコンサルタントの口真似をして見せた。なんて、アメリカ資本との関係性を示してくれます。 

 ただ、そうした彼らが目指す方向がスペシャリティーコーヒーに偏ったように思え、「大手コーヒー産業の考えが、できるだけ多くの市場に安いコーヒーを流通させる事である限り、我々は詐取や悪徳商法などのニュースを目にし続けるだろう。」と、「スペシャリティーコーヒーに特化する生産者たち、サードウェーブコーヒー業界の人達を信ずる。」と言ってみたところで、所詮、同じ穴のムジナではないだろうか?だって、著者自身も「我々人間は、自己中心的で欲しいものや自らの利益を求める種だ。」と言っているではないですか。 

 訳者(セルボ貴子)が「あとがき」のなかで、「確かに本書は、不当に安いコーヒーをやめ、もう少しお金を出し、少ないが豊かにコーヒーを楽しもう、そうすることでサスティナブルにしようというのは良薬口に苦しの内容だ。」とあるように、コーヒーより苦い内容も誰かが伝えるべきであると思う。そして、コーヒーに携わるちっぽけな一人として、「実際は、かなりの量のコーヒーが作りすぎで、保温状態でまずくなったからと流しに捨てられている。」ということのないよう、一杯一々を大切に丁寧に淹れたいものです。