私の患者になってくれてありがとう

 先日、妻の机の上に置いてあった本が気になって手に取ると、『私の患者になってくれてありがとう』(著者:井上善文)という本でした。「ヘ~!そんな気持ちで接する医師がいるんだ。」そんな印象を持って副題を見ると、「残存小腸0cmの短腸症候群 17年間の在宅静脈栄養の軌跡」とあります。「残存小腸0cmってどういうこと?」、「静脈栄養?」などと疑問が湧きます。そして、帯紙には「この物語は、自信をもってHPNを実施できると自負していた外科医と、残存小腸0㎝となった29歳の女性患者が巡りあった、医療としての記録である。」・・・「HPN?」そんな質問を妻にすると、「一般の人には専門用語がでてきて難しいよ。」とのこと。しかし、興味を持ったので読み始めることにしました。 

27歳で妊娠中に上腸間膜動脈血栓症を発症し、腸管の大量切除術を受け、残存小腸が0cmとなった短腸症候群の患者である中村絵里さん。本書は、彼女の栄養管理を担当し、HPN(在宅静脈栄養法)によって、その後の17年間の人生を伴走し続けた医師の記録です。 

HPN(在宅静脈栄養法)は、在宅中心静脈栄養法(HPNHome Parenteral Nutrition)のことであり、在宅で適切な栄養量を注入して栄養状態を維持・改善し、栄養維持を目的とした、入院をなくし、家庭や社会復帰を可能にして患者さんと家族の生活の質を向上させる療法です。 

ただし、実施には、以下のような3つの前提条件があります。

 患者さんが入院治療を必要とせずに病状が安定しており、HPN実施で生活の質向上がめざせる場合 

 ② HPN実施にあたり、院内外を含む管理・連携体制が整備されている場合 

 ③ 患者さんと家族がHPNの必要性をよく認識して希望し、輸液調製が問題なくでき、注入管理が安全に行えて合併症発生の危険が少ない場合 

 絵里さんの場合は、29歳の時点で残存小腸が0cm、結腸も右半分を切除しているため栄養状態が非常に悪く、自宅で経口摂取と看護師である姉による輸液を行い、体重が落ちると入院し、TPN(中心静脈栄養法(当時はIVH))により改善をはかることを繰り返していました。
 そうした状態の患者と出会った著者は、当時、米国の大学に留学し、帰国後、大学病院で臨床栄養に関する活動を積極的に行っていたことから、「私が絵里さんを元気にしてあげよう、してみせる」と、自分の経験を活かすことができると考え、大阪大学にてCVポート留置術を受け、感染に注意したポート管理と自己輸液の訓練を受けると、退院してみるみる栄養状態を取り戻していきます。 

健康な頃に比べ20kgも落ちていた体重は、退院後3か月で8kgも増えて43kgまで回復します。「HPNを投与する→栄養状態が良くなる→元気になる→食欲が出る→食事量が増える→体重が増える」という好循環のサイクルが回り出しました。 

下関の実家で暮らす絵里さんに、さまざまな薬剤を調合した栄養輸液を届けるため、ゴミやホコリ、浮遊微生物などの混入を防ぐために一定の洗浄度レベルになるように管理された、囲いの付いた作業台を備えた大阪の調剤薬局から、下関への輸液の宅配をします。また、その処方箋を発行するための地元のクリニックと著者による連携、日々のエネルギー投与量や週の投与回数など細やかな調整を繰り返し、知識と技を総動員して絵里さんを支えていきます。 

こういった体制が組まれることや、それを長年続けていけること自体に驚いたと同時に、「私の担当医になってくれてありがとう」状態が何だか羨ましく思えてきました。医師は一般の人には選べません。身近な病院でさえも、「あの病院がいいよ。」とか「受診日は金曜日の〇〇先生がいい。」といった情報も手に入らないのですから、運を天に任せて受診しているのです。 

絵里さんは夫のいる松江に帰り、月経も戻り、翌年には長期HPN患者としては世界で9例目であった妊娠・出産も成し遂げています。しかし、HPN開始から9年を経た頃から様々な問題が出始め、リンとカルシウムの不足から起こる骨折、鉄の過剰投与が招く高フェリチン血症と頭痛、貧血、大動脈弁の疣贅、SLEなどが次々と出現します。そして、敗血症により最期を迎えました。 

著者は「最期に」で、こう記しています。「やはり現在のHPNの技術、静脈栄養は未完成であることを実感した。静脈栄養だけで生きていけるほどには完成していない。おそらく不足する栄養成分があるのだろう。現在、TPNはキット製剤が非常に発達し、この製剤を用いればTPNは実施できると安易に考えられているが、明らかに間違いである。食事は科学的にその成分が解明されてきているが、まだわかっていない、生命を維持する上で必要な成分が存在しているのかもしれない。」 

医療の関わっていない私でも、特別な外科手術や新薬の開発などの目立つ医療技術は注目されていても、こうした、患者さんの栄養を下支えし、治療を可能にするHPNはあまりも注目されてないことが分かりました。また、機材、輸液剤、静脈栄養剤、経腸栄養剤、濃厚流動食などは著しく発達していても、これらを適切に使うことができる、レベルの高い「医療としての栄養管理」を実施できる医師が日本には不足していることも知りました。 

けれど、そうした医療の実態や課題よりも、人は食べることによって生きていることを改めて強く感じます。著者が「食事は科学的にその成分が解明されてきているが、まだわかっていない、生命を維持する上で必要な成分が存在しているのかもしれない。」と言っており、「食事として摂取しているから、その未知であるかもしれない成分を身体が取り込んでいるのであろう。」の意味を深く考えたのでした。 

目の前にあった本のタイトルに興味を持ったことから読み始めましたが、専門用語の解説が多く書かれていても理解できず、何度もGoogleで検索しながら読み進めることになりました。そうして回り道をしながら調べていると、消化器外科病棟に勤務する看護師からの質問に答える内容や、そうした職場で働くスタッフの医療や看護に対する姿勢を知り、克明に描かれた様子に臨場感を持って読むことになったのです。

偶然にも出会った本で、医療についてちょっとだけ考えてみたのでした。