時には心の洗たくを

 先月ブログにあげた彼岸花の絵手紙を見て、サラリーマン時代に絵手紙を教えて頂いていた方から、心のこもった絵手紙が届きました。『時には心の洗たくを』。でも、毎日好きなことをして生活しているので、洗たくしっぱなしになり、元の色が剥げてきそうで心配になるくらいです。むしろ、来店される方々に美味しいコーヒーを淹れ、少しくらいは心の洗たくのお手伝いがしたいですね。 

 日々、焙煎やケーキ、クッキー等を作りながら、お客様の少ない昼の時間帯に思いついたことや、関心のあることをブログに書き留めているのですが、思わぬ人からコメントを頂いたり、「ブログ見てますよ!」などと声をかけられると、何だか気恥ずかしい気持ちになります。 

 今年に入って、数年前の「コーヒーとカリウム」や、「焙煎と障害を持つ人」のブログにコメントがきて、どこから「まめ蔵」のブログに辿り着いたのか不思議でなりませんでした。それだけ、お気楽にブログを書いているので、こんなブログを見ている人は少ないとたかをくくっているのです。 

 妻や子供たちは見ることもなく、妻からは「文章が長いから読む気にもならない。」とまで言われており、むしろ家族以外の人から反応があると、本当に妙な気分です。誰かに伝えたいとか、意見を交換したいなどとは考えたこともなく、自分への独り言であったり、将来お店が出来なくなった自分自身へのメッセージくらいのつもりですから。 

 今は、過去を振り返ったり、想い出話をすることもないですが、いずれは「あの時は、こんな事をやってたんだ!」なんて介護ベットの上で読む時がくるのかもしれません。 

 人の心も絵手紙のハートのように、濃淡があったり、少しだけ歪だったりします。でも、心がたくさん並んでいると、妙にハーモニーを描くような光景になるから不思議です。お店も様々な人が立ち寄って、心の洗たくが出来るようにしたいものです。