華めく洋食器

 定休日が祝日となることから、日頃、月曜日が休館日となる岐阜県現代陶芸美術館へ、「華めく洋食器 大倉陶園100年の歴史と文化」を見に行ってきました。このイベントは、東京都渋谷区松濤にある「松濤美術館」で、6月8日から7月28日まで開催した後、多治見市へやってきたものです。

 大倉陶園の「良きが上にも良きものを」の理念のもと生産される磁器は、フランスのセーヴルやドイツのマイセンなど西洋の名窯にも比肩する高い品質を有していると評価されています。今回、その大倉陶園100年の歴史を5つのブロック別れて展示されています。

1:大倉陶園のお誂え食器 

昭和341959)年から後の皇室の食器が並んでいます。お誂(あつら)えって言葉、貧乏人には縁遠い言葉です。でも、日本的でいいと思いました。 

2:日本人による日本人のための洋食器 

花鳥画を得意とした幸野楳嶺(こうのばいれい)に、孫兵衛が図案意匠の為に依頼して出版した本を絵付けの手本としたんですね。

3:洋風文化の立役者

 富士屋ホテル、奈良ホテル、資生堂アイスクリームパーラーなど、老舗ホテルなどで使用された食器が並びます。当時のメニュー写真もあり、牛舌洋酒煮(タンシチュー)は金五拾銭だとか、食べてみたい!

4:西洋へのまなざし 沼田一雅と陶彫

 マイセンやセーブルなど、ヨーロッパの名窯では陶彫にも重きが置かれていきます。そこで、大倉陶園では大正131924)年に初めて陶彫を発表し、昭和31928)年には一般向けに販売しました。

5:日本の洋食器を追い求めて-戦後~現在

 戦後から現在のお誂え食器など。

 

 その他、新資料にみる大倉陶園の魅力として、新たに発見された資料(工場図面、書簡、石膏型など)を初公開し、最高級品が生まれた背景を紐解いていきます。

 やっぱり、大倉陶園の洋食器は素晴らしい。国産の高級洋食器の中で、どうして大倉陶園の製品が別格の扱いを受け、皇室や老舗のホテル、レストランなどに供されているのか、その100年の歴史をみると頷けました。