耳神社へ

 先日、猪子石神社の末社である「龍耳社」へ参ったのですが、事前に調べた岐阜県可児郡御嵩町にある「耳神社」が気になって、梅雨明けで猛暑となる前の朝、ちょっと車を走らせてきました。

  土岐市から国道21号線で御嵩町へ向かい、上之郷郵便局の横を曲がって旧中山道へ入り、細久手宿の方向へ少し走ると、「耳神社」の青いのぼり旗が見えてきます。確かに駐車場もないため、広い路肩に車を止め、十数段の石段を登って行くと、小さな石の祠がありました。

 この小さな神社は、地元の西洞(さいと)自治会の7世帯がお世話をされているそうで、入口の案内板を見ていると、江戸時代の歴史書にも登場し、少なくとも250年以上の歴史があるそうです。

 「耳神社」の由来については、御嵩町発行の『じいさまから聞いた話』に書かれており、要約すると次のようなお話でした。「里に暮らす大工の松右衛門が冬の雨の中で仕事をしていたため、風邪で高熱を出したそうです。そのため、妻が近くの咳気(がいき)の神様に日参してお祈りすると、熱は下がったものの、耳が聞こえなくなったため、二人揃って耳が治るようにお祈りを続けたそうです。その後、妻が妊娠したため、松右衛門一人で神様に参り、耳が治ることと赤ん坊が無事生まれるよう願い続けいると、春になると神様が現れ、「願いを聞き届けてやろう。」と言ったそうです。すると、耳が聞こえるようになり、無事に生まれた赤ん坊の泣き声も聞こえるようになったそうです。松右衛門はお礼に大切な大工道具である錐(きり)を神様に供え、大工の腕をふるって祠を建てたそうです。その祠が里の人によって耳神様(みみがみさま)とよばれるようになりました。」

 なお、耳神社に耳の病気平癒をお願いする時は、神社に奉納されている錐を耳にあてがい、耳を突き刺す仕草をしながら病気平癒を祈ると、願いが聞き入れられると言われています。耳がよくなったら、自分の年齢の数だけ錐を作ってお参りすることになっています。ちなみに、祠の横には黒く塗られた祈願用の模した錐が備え付けられていました。でも、自分の年齢の数だけ錐を作るって、思わず「どんだけ~!」って言いたくなります。