幸せなひとりぼっち

 『幸せなひとりぼっち』という、2015年のスウェーデンのコメディー映画を観ました。妻を亡くし、職も失って生きる希望をなくした59歳の偏屈で孤独な男が、近所に越してきたイラン人とその家族との交流を通じ、徐々に再生していく姿をユーモア交えて描いている映画です。

 妻の元へ行こうと自殺を試みますが、ささいな出来事に阻まれ実行することが出来ない哀れな主人公ですが、それ以上に、正直、不器用、理不尽な境遇というオーヴェという人間に興味がそそられます。

 墓前に供える花束のセット割引に対して、余分に買わせるとして怒鳴り声を上げて不満を訴える。自動車の通行禁止のルールには、どんな例外も認めない。その他、ゴミの分別、自転車の駐車、犬のおしっことどんな細かいことにも厳格で、違反している人には容赦無く怒鳴り声をあげる。いわゆる、おせっかいの偏屈親父です。

  正直、呆れてしまうようなクレイマー的な態度で、出来れば余り関わりたくない人物像になっていますが、どことなく、お店に来店される人の中にも居そうな人物です。そんな主人公に惹かれてしまうのは、自分自身が還暦を迎える年齢となったことと、最近なぜか、人の死に触れることが多くなったこともあってか、お客様と死に至るまでの介護や葬儀にまつわる会話が続いたせいでしょうか。

 それに、自分でも薄々気づいているのですが、結構な偏屈親父の素養があり、妻に先立たれてしまえば、情けないほどの人生を送るだろう事など、どことなく主人公のオーヴェに親近感が湧く存在だったのかもしれません。

 死を意識し始めると分かり始める今の生き方、周りの人によって気づかされる場合もあれば、ふとした出来事で気づくこともあり、限りがある人生だからこそ、日々の生活の大切さや有難さを感じます。今は、幸せなひとりぼっちではなく、多くの仲間や、お客様との触れ合いの中で過ごしており、この生活が長く続くことを願っています。

 「車は思ったより単純には動いていない」というセリフが劇中で何度か出てきますが、自分の生き方は出来るだけ単純でいたいものです。