総会資料を作りながら

 手話サークルの事務局を担当していることから、4月の総会を前にして資料作りを行っています。資料の一年間の活動状況を見ると、なんと150日以上にわたって、会員の誰かが手話通訳や他団体との会議、行事参加等があり、土日にお店を営業している身としては申し訳ない気分になります。そして、その活動の中心を担っているのが、一部の役員に集中していることも明らかになります。

 手話通訳者の公的資格である手話通訳士の数は、社会福祉法人 聴力障害者情報文化センターのデータによれは、平成31117日現在、全国で3,608人です。岐阜県では24人と少なく、三重県の51人の半分以下となっています。そして、岐阜県の名簿を見る限り、60代以上の方が多いのも見てとれ、将来が不安視されています。そんな数少ない手話通訳士を補うべく、地域での手話通訳現場では、認定手話通訳者や手話奉仕員である手話サークルの会員によって成り立ってはいますが、その手話サークル自体も厳しい現実に直面しています。

 何年も前から手話サークルは減少の時代を迎えており、県手話サークル連絡協議会に加盟する団体数の減少からも明らかで、土岐手話サークル竹の子においても会員の減少傾向は止まらず、同時に新規加入者数も伸び悩んでいます。原因は様々であろうかと思いますが、主なものとして考えられるのが、ろうあ者のサークル参加が減ったことです。手話を学ぶためにサークルに来ても、ろうあ者が参加しない状況が続けばモチベーションが上がりません。

 私が手話サークルに入った頃は、手話サークルは、ろうあ者の集いの場でもありました。週に一回、自分の言語で語り合える仲間が集える場所、話が十分できる場所、それが手話サークルだったと思います。当然、その頃のメンバーはろうあ者との関わり方も深く、親戚づきあいのような関係でした。

 その頃のろうあ者の通信コミュニケーション手段は、直接会うことでしたが、徐々にFAXが普及し、携帯電話のメールで格段に早く通じ合うことが出来、今ではラインで既読確認も可能となりました。直接合わなくとも、こうしたコミュニケーション手段の変化により、即座に相手と会話ができるようになりました。サークルに通わずとも仲の良いろう者と話ができるようになったり、好きな時間に会う約束をしたり、約束をして遊びに行ったりすることができ、結果的に若いろうあ者はサークルから離れていき、高齢者となったろうあ者は足が遠のきます。その後、若いサークル会員が継続しにくい環境が生まれ、会員数も減少する悪循環が始まります。
 今では、ろうあ者に会わずとも手話が学べるようになってきている事実もあります。インターネットによる手話の学習やDVDが普及し、誰でも気軽に手話を学べる環境にはなってきています。しかし、手話は言語であり、生きた言葉を学ぶためには直接ろうあ者に会って、個々の個性的な手話を学ぶ必要があり、何よりも相手との信頼関係がなければ手話通訳は成立しない事実もあります。特に医療の現場では。 

 一方、現実のサークル運営は、長年連れ添ってきた家族のような間柄で雰囲気は良いものの、馴れ合いであったり、効率的でない(瞬発力がない)進め方も出始めています。それは至極当然で、みんな年を取ってきたんですから。老人に片足や両足を突っ込んでいる訳ですから、ロスも多いのです。そうした事実を含め、今後のサークルのあり方を少しばかり考えてみるのでした。でも、良い考えが浮かびませんが。

 さて、印刷の締め切りに間に合うよう頑張りますか。