コーヒーカノン

 『アウシュヴィッツのコーヒー コーヒーが映す総力戦の世界』(臼井隆一郎著)を読み始めたら、以前にも気になった作品中に登場する「コーヒーカノン」という歌の内容が知りたくなります。ドイツ人なら誰でも知っている輪唱のメロディーで、日本でもそれなりに有名らしいといっても記憶になく、モヤモヤした気持ちを整理するため調べることにしました。
 何とか作曲者がヘリングという人物で、動画サイトから曲の感じや歌っている様子が分かったものの、ドイツ語のために歌詞も内容もさっぱり分かりません。さらに調べていくと、歌詞が見つかります。


C-a-f-f-e-e,
trink nicht so viel Caffee!
Nicht für Kinder ist der Türkentrank,
schwächt die Nerven, macht dich blass und krank.
Sei doch kein Muselmann,
der ihn nicht lassen kann!

 

 ※Google翻訳を使ってみると、


C-A-F-F-E-E
それほど多くのコーヒーを飲まないでください!
トルコの薬は子供向けではない、
神経を衰えさせ、あなたを青白くそして病気にします。
Muselmannにならないで
誰が彼を離れることはできません!


 「Muselmannにならないで」と肝心のMuselmannが翻訳されないので、さらに調べると、「回教徒」のことでした。ただ、この曲が作曲された当時はトルコの回教徒を表していたものが、ナチ強制収容所においては、「回教徒」(Muselmann)とは抑留者を意味していたのです。さらに、ここで言う「回教徒」とは、「死にかけの抑留者」を指して用いられた「隠語」であり、その名付けの理由は、「毛布にくるまった死にかけの抑留者の姿が、祈りの際に地面にひれ伏すムスリムの姿に似ているから」とされています。「毛布にくるまれた骸骨」。これが「回教徒」の一つの表象なのでした。
 これまで喉につかえたものが取り除かれたものの、何ともいえない気分になります。アウシュヴィッツの現実を「コーヒーカノン」という歌からも突きつけられます。
 よく「二度とアウシュヴィッツを起こしてはならない」と言われていますが、しかし同時に、「脳死」や「出生前診断」をめぐる論議や、人間を「有用な者」と「無用な者」に分け、後者を排除するナチズムのような思考が繰り返されている現代社会を見ると、著者が言う、「過去はあたかも無かったかのように、無理やりねじ伏せて克服するものでもない。過去は正確に記憶され、再発をさせない努力をしてこそ、確かに克服されるのではないかと思うのである。」の言葉が胸に刺さります。
 ところで、検索中にコーヒーカノンという名の店が何軒かありましたが、こうした背景を知っているのかな?