中山尚子原画展「土神と狐」

 今日は瑞浪市市之瀬廣太記念美術館で8月22日~10月21日まで行われている、中山尚子原画展「土神と狐」~宮沢賢治作品より~を観に行ってきました。今回、中山さんの題材となった「土神と狐」は、宮沢賢治の童話の中でも異色といえる物語です。男女の愛をテーマにした童話で人間誰しもが持つ沢山の愚かさや業、哀しさなどを浮き彫りにした心に深く刻み込まれる作品で、擬人化された女性の樺の木を巡り、土神と狐が恋を争う話です。
 野原の中に一本のきれいな女の樺の木に対して、土神は、神という名こそついているものの、振る舞いも乱暴で、髪はぼろぼろ、わかめのような着物に裸足という、私でなくとも恋愛の対象になんかならないと思える男です。それに引き換え狐のほうは、いつも仕立ておろしの紺の背広を着て、赤革の靴をキュッキュッと鳴らして登場します。つまり紳士な訳でして、これだけで樺の木がどちらを好きになるか分かるというものです。
 土神は自分の事は分かってはいるものの、嫉妬心がどうしても収まらず、走り出したり大声で泣き出したりと葛藤する姿は人間そのものです。しかし、時が経てば傷ついた心も癒されて、もう嫉妬せずにあの二人の事を受け入れようという気持ちになりました。
 そうした自分の心境の変化を伝えに樺の木のところへ出かけみると、そこへ運悪く狐と出くわし、急に敵意に火がついてしまいました。逃げる狐に罵声を浴びせながら追い掛け回し、終いには狐をねじり殺してしまいました。そして、殺してしまった後に狐の死骸のレインコートのポケットの中を探ると、そこはカラッポで雑草が数本入っていただけであること目にした土神は、狐が仕立ておろしの背広を着たり、赤革の靴を鳴らして、天文学やら望遠鏡などの話をしていたことが全て嘘だと悟るのでした。
 そんな人間の内面の奥にある、うす暗くて複雑な自分へと向き合うかかのような宮沢賢治の世界と、メルヘンチックな作風の中山さんの作品とのギャップが、「土神と狐」のような文章とピタリと重ね合わさるように感じました。
 今回の19点の挿絵を使用した絵本が自費出版されていたので、帰りに購入してお店の本棚に置くことにします。