カフェ・バッハへ

 「地下鉄日比谷線かJR常磐線の南千住駅を下りて、吉野通りを浅草方面へ行きます。東西に走る明治通りを越え、さらにマンモス交差点を過ぎてすぐ、“ドヤ”と呼ばれる簡易宿泊所が連なる通り沿いにあります。」(カフェを100年、続けるために 著:カフェ・バッハ 田口 護)そんな道案内通り進みますが、昭和30年代に起きた「山谷騒動」も知らない私には「土岐市よりも都会だ!」としか感じません。

 しかし、カップ酒を持った老人、どこを見ているか分からないような歩き方の老婆、無精髭にくわえたばこや、スーパーの帰り道をヨロヨロと歩く人達を見ると、やはり新橋や上野とは大きく異なることに気付きます。
 という訳で、南千住の駅から歩いて12分、大都会の慣れない道を歩きながら辿り着いた先は、「カフェ・バッハ」です。私が珈琲屋を開業するにあたって多くの本を読み、多くの人に会った中で、一番印象深い店ということもあり、東京に出向いた際に迷子を覚悟の上、事前に地図を印刷して出かけたのでした。(ガラケーですから)
 南千住の店を構える「カフェ・バッハ」は、1968年に「SHIMOFUSAYA(しもふさや)」として開業されました。計算すると今年で50年という筋目になる訳ですから、偶然にも記念すべき時に訪れたことになります。(個人的な想いです)コーヒー本には必ずと言ってよいほど登場する名店でも、私としては初めて入る店の一つなので、著書で描かれた街や店内を実際に自分の目で確かめる目的がありました。想像していたような広々とした店内ではなく、昭和の古き良き時代を残した落ち着いた空間です。キビキビと動くスタッフを見ながら、ちょっと深煎りのペルー・セコパサとケーキを注文して楽しみます。

 「大手チェーンの高度なシステムは、とても個人店には太刀打ちできるものではない。でも、エモーショナルな部分、驚きや感動はシステム化できません。人に驚きや感動を与えるには、相手の喜びを自分の喜びとし、相手の痛みを自分の痛みとできる人材の育成が欠かせません。そうした、人間にとって一番大切な感情を育んでくれる、この山谷という地域は、私たちにとって日本一良い場所なのです。」(カフェを100年、続けるために 著:カフェ・バッハ 田口 護)こんな言葉通り、日本一不利と言われる立地の中で続けてこられた意味をコーヒーを飲みながら考えます。

 私も生まれ育った場所にこだわって珈琲屋を始めた訳で、100年続けることは現実には無理ですが、生涯続けられるような店にするため、カフェ・バッハの店作りに刺激を受けたのでした。