一杯の珈琲

 今日は土岐市保健センターの検診で、年一回の胸部レントゲンを行ってきました。二週間後は胃がんと大腸がん検診を行う予定です。サラリーマン時代は、人間ドックで一度に検診を行ってきましたが、今では数回に分けての検診となり面倒な気もしますが、普段から内科、眼科の掛り付けの病院に行っているので、意外に苦になりません。
 そんな検診を済ませてから焙煎を少し行って、以前から覗いてみたかった岐阜県各務原市にある、珈琲工房ひぐち桜町本店へでかけてきました。この店は珈琲屋を始める前にも訪れており、昨年にリニューアルしているので気になっていたのです。台風が接近してくるのためトンボ返りのドライブとなりましたが、良い気分転換になりました。
 リニューアルしたお店は、入口のから落ち着いた雰囲気に変わり、新しいテーブルや椅子は以前のカジュアルな感じから、シックな大人のイメージになっていました。ちょうどランチ時で多くのお客様で賑わっており、店のスタッフがキビキビと動いているのが見ていて気持ち良いです。
 ふと目を上に向けると、以前は大きなコーヒー豆の付いたボードがなくなり、代わりに黒板に文字が書かれています。『何気ない日常のひととき「たかがコーヒー」「されど一杯の珈琲」ささやかな しあわせの時でありますように・・・珈琲工房 ひぐち』
 この言葉の意味するものは、「マーサ21」のお店紹介を見ると分かります。「おいしいコーヒーの前提には安心・安全への配慮があります。生産履歴の明らかなもの、環境・生態系の保全に勤めている農園、国際的なコーヒーの品質評価によって認められたものを扱っています。」そして、同時期のフェイスブックには「日常のなかの小さな幸せ時間、いこいの時間、自分時間、誰かとの楽しい時間。珈琲や手作りのランチ・デザートと笑顔のおもてなしで珈琲の香りに包まれた空間をお届けします。」これが、「たががコーヒー、されど一杯の珈琲」ということなのでしょう。

 でも、自分か珈琲屋を始めて感じることですが、「たかがコーヒー」という表現は使えなくなりました。カップ一杯のコーヒーに心を込めて淹れており、コーヒー豆を購入される方々の家庭での様子を伺って、一杯のコーヒーを淹れるための素敵な時間を知ることになりました。お店でコーヒーを飲まれる方の中には、「たかがコーヒー」と思っている人もいるかもしれませんが、提供する側としては抵抗を感じてしまいます。

 よく使われる言葉なので気にするほどのことでもないし、他意はないのですが、自分ならどのような表現をするのだろうかって考えながら、一杯の珈琲をいただいたのでした。それにしても素敵なお店です。

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コメント: 2
  • #1

    樋口美枝子 (木曜日, 10 8月 2017 00:07)

    ご無沙汰しております。ご来店いただいていたと知りました。
    お忙し時間の合間に、ありがとうございます。
    お褒めいただき、恥ずかしく、ありがたく、嬉しいです。

    黒板に書くコメント、なやみましたが、あれになりました。
    「たかがコーヒーされど一杯の珈琲」あまり良い聞こえではありませんね。

    豆蔵さんの一日前のブログにもあるように、珈琲を飲みに来ていただく方それぞれに想いを持って、一杯の珈琲を求めてお越しいただく、その感謝をもって、丁寧に真摯に一杯の珈琲に向き合うのが、珈琲屋。
    豆蔵さんの立ち位置は、理想的な珈琲屋さんだと感じます。
    私もそうでありたいなと憧れます。

    うちの店は、朝は、モーニング屋、昼は、近所のめし屋のような様相です。
    ごはんの後にコーヒーが飲めるみたいな・・・。大衆的なコーヒー屋です。
    お客様からすれば、食後の「セットコーヒー」みたいなものですが、
    ちゃんとした一杯を提供しようね。って思っています。
    が、やっているスタッフは、時間勝負で必死です。(笑)

    近所のおばちゃんやおじいちゃん、買い物ついでの方がた、
    サークル帰りのおあばちゃま、肩肘張らずに来たいただけるお店でありたいと思います。

    慌ただしい日常を捨てて、心の癒しを求めて、
    また、ふらっと寄らせていただきます。
    今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

  • #2

    まめ蔵 (木曜日, 10 8月 2017 11:43)

    ブログにお立ち寄りありがとうございます。

    黒板のコメントは店のビジョンを表す大切ものだと思います。
    それは、お客様向けではなく、働く者にとって日々の判断基準になるからです。私自身は家の書斎に箇条書きした紙を張り付け、毎日読み直しては「大丈夫か?」って確認しています。

    「朝は、モーニング屋、昼は、近所のめし屋のような様相です。
    ごはんの後にコーヒーが飲めるみたいな・・・。大衆的なコーヒー屋です。」
    いいじゃないですか。私も最初にイメージしていたものは、そうしたお店でした。けれど、実際に一人で全て行う形態にした場合、出来る事とやりたい事の整合性は現実にあり、現在のようなスタイルになりました。
    ただ、基本的には地元の珈琲屋でありたいと思っているので、あくまで大衆的な珈琲屋です。メニューには載せていませんがモーニーングも提供しますし、子ど向けのドリンクも用意しています。

    公民館行事の帰りに立ち寄るご婦人の賑やかな会話。
    夫婦でゆっくりコーヒーを飲む光景。
    落ち着かない子供をあやしながらコーヒーを飲む家族。
    カウンターに座って世間話をする人。
    コーヒー豆を迷っている方が試飲をして満足げに選ぶ顔。

    様々な方が時々訪れる、特別でない珈琲屋です。
    (本当に時々なんで、笑えません。)

    ただ、一人でやっていると客観的に見つめる時間が必要です。
    それが、ブログに文字として入力することで、自分を見つめることになると考えて記録しています。営業日誌だと堅苦しいので、日常の生活を含めて記録する習慣を付けている訳ですから、大した内容など書いてはいません。

    そんな所にお立ち寄りいただき、ありがとうございました。
    ご縁に感謝いたします。