旧国立移民収容所

 「一九三〇年三月八日。神戸港は雨である。細々とけぶる春雨である。海は灰色に霞み、街も朝から夕暮れどきのように暗い。三ノ宮駅から山ノ手に向う赤土の坂道はどろどろのぬかるみである。・・・この道が丘に突き当って行き詰ったところに黄色い無装飾の大きなビルディングが建っている。・・・是が「国立海外移民収容所」である」(石川達三『蒼氓』)第1回芥川賞を受賞した石川達三『蒼氓』を読みながら三ノ宮の駅に着き、当時とは異なる景色と街路樹の蝉の音、蒸し暑い空気の中を山ノ手の坂道を歩いて、海外移住と文化の交流センター(旧国立移民収容所)にたどり着きました。

 日本人のブラジル移住は1908年(明治41年)から始まりました。それから20年後の1928年(昭和3年)に、「国立移民収容所」が誕生し、全国から集まってきた移住者が1週間から10日間ここで移住の準備をしながら、別れを惜しみ、遥か彼方の異国の地に想いを馳せたのです。この建物は、その後、歴史の流れとともに何度か名称変更を繰り返し、1971年(昭和46年)に閉鎖されるまでの間、移住者保護を目的にした国の施設「神戸移住センター」として親しまれてきた、日本で唯一残った、海外移住の歴史を刻んだ建物なのです。希望と不安が交錯する、彼らの人間ドラマがこの建物には深く刻まれている、ここは、文字通り移民の歴史を語る"語り部"として存在しています。

 今回、このセンターにおいて、神戸開港150周年記念企画展「日本コーヒー開花物語-それは笹戸丸移民から始まった-(5月27日~7月30日)が開催されていることから、ブラジル移民の歴史を垣間見ると同時に、サンパウロ州政府とブラジル移民の父と呼ばれた水野龍氏が結んだ「珈琲販路拡張契約書」により、無償譲渡されたコーヒー豆が銀座や神戸などに「カフエーパウリスタ」で提供されるようになって、大衆にコーヒーが広がった過程を知ることが目的でした。

 開館時間の10時前にはセンターへ着いたので、外観と記念碑を眺めながら正面玄関へ目をやると、ドアの鍵は開いており、中に入って涼みながら施設の説明VTRを時間まで見ていました。

 常設展示を見るために無料貸出の音声ガイドを受付で申し込み、順路に沿って展示物を見ていると、一人で早くから来館した私を見つけた年配のスタッフが駆け寄り、「どこからお見えですか?」と声をかけられました。

 それからは音声ガイドは不要になり、展示物一つ一つの内容を詳しく説明してもらい、専属ガイドが付いたようで何だかビップ気分を味わいます。とはいっても、内容が小説『蒼氓』と重なるだけに、文章から想像していたイメージを現実の物や写真で肉付けされていき、足取りは重くなってしまいます。

 同じ内容でも、第三者が肉声で語られると、ズッシリと心に響いてきます。