一期一会と言うけれど

 一期一会と言うけれど、慣れてしまうと最初の誠意が失われ、ついつい甘えてしまいがちになりす。一人で珈琲屋を切り盛りしていると、きちんと接客したいと思う反面、繁忙時には接客というより作業になりがちです。だから時々反省しながら思うのです。コーヒーは感謝を込めて淹れようと。

 そんなことを考えるのは、お店に来ていただける方に高齢者が多く、その中で数人の方が来店出来ない状況になって来たからです。表現は良くないのかも知れませんが「今回が最後の一杯かも。」と思って丁寧にコーヒーを淹れることを心がけています。

 珈琲屋ということで色々な方が来店されますが、最近では聴覚障害者も口コミで来店され、一期一会の重みを痛感します。手話に関わったことで思わぬ出会いも増え、改めてお店を開いて良かったと感じています。そうした多くの出会いの中でも、一つの出会いが幾つにも繋がった時もありました。

 今日の昼に来店されたのは、以前、コーヒー店で働きたいという青年にお店を紹介し、念願かなって働くことになった、その彼が働いている店のマネージャーが挨拶に来られたのです。「そんなお礼を言われることの事はしていません。」と只々恐縮するばかりで、何だか申し訳なくなってしまいます。まさに一期一会があったからこその出会いでした。

 そんな会話もそこそこに、規模や経験年数も違いがあるものの、同じ珈琲屋を営む者として話す内容に共通点も多く、しばし有意義な会話を楽しむことが出来ました。一人でマイペースで進む難しさもありますが、やはり所帯が大きくなれば悩む内容も異なります。何だかサラリーマン時代を思い出してしまいました。ともあれ、彼にこの店を紹介した事に間違いがなかった事を確信したしだいです。

 「一期一会と言うけれど」なんて言わないような毎日にしたいものです。