Cafe’ドアーズと秘密のノート(1)

 お店を始める前には、複数の開業セミナーを受講したり、開業本と呼ばれる専門書などを多数読み漁りました。その中には、カフェバッハの田口護さんの著書「カフェを100年、続けるために」も大いに参考になりましたが、小説のような実用書「Cafe’ドアーズと秘密のノート」にも刺激を受けたのでした。

 カフェ・ドアーズは両隣を流行りの新しいカフェに挟まれた古びたカフェです。どう考えても悪条件な立地なのに、なぜかひっきりなしにお客さんが訪れています。そんなドアーズに前科モノのゴロツキ「チナスキー」が金庫の金を盗むためにスタッフとして潜り込みます。しかし、いつしか、なんでこのカフェはこんなにたくさんのお客さんが来るんだ?と、ドアーズの繁盛の秘密に興味を惹かれていきます。そんなチナスキーにドアーズのマスター・ブランカは金庫に大事にしまってある古びたノートに書いてあるドアーズの10の秘密を教えていくストーリーです。ストーリーの中でマスター・ブランカの次のセリフが素敵なんです。

 人間は同じことばかり繰り返していると飽きるのじゃ。それがどんなに楽しいことであっても。好きなことであっても。旅も同じことじゃ。距離は同じでも帰りの方が短く感じるのは、行きの移動中は見たことがない景色の連続だ。帰りの移動中は、行きの段階で見た景色ばかりだからじゃ。人は新しいものを見たり新しいことをやったりすると、時間をたくさん使って人生を楽しむことができるのじゃ。新しいことを多くすれば人生の時間は長くなる。

 人は仕事に対して希望を求める。光を求めているのだ。金銭を求めているのではない。現実的には金銭を手元に引き寄せることが労働の意味だ。だが、それだけで労働ロボットのようになることはできない。自分がその場所で輝いている実感が必要なのだ。光は人それぞれに違うものから得る。作品をつくり光を得る文筆家がいる。音楽を鳴らし光を得る音楽家がいる。ビルを建て光を得る建築家がいる。電気工事で光を得る作業員がいる。書類をつくり光を得る公務員がいる。自動車を整備し光を得る整備士がいる。食事を作り、光を得るコックがいる。一杯のコーヒーと空間で光を得るカフェがある。

 光とはやりがいのことなのだ。しかし、どんなに満足な仕事であっても新鮮味が薄れることによって希望がなくなったり、それまでやりたいとも思わなかった仕事が今度は新しい光になったりする。人は変化する。その変化の中でたまに休んだり、たまに立ち止まったりして自分がいる場所を、得たい光を、再確認するのだ。
 「光を得る」「光を求めてる」か。この表現とっても好きです。この仕事を一生の仕事に決めてから、長く続けることの大変さを理解したとともに、いかに新鮮味を保ってお客様に接することが出来るのか、たまに立ち止まって光を求めていきたいと思うのでした。